日記 八十五の巻
7月 第3週土曜 『続・続、塾や学校でもらった中学校の過去問をどう使う』の”あとがき”的な「something」
★この間、ちょっと書いた「村上春樹※敬称略」の「鏡」の話な。そのミニ追加情報なんやけど…あの『短編近似作品』(ま、ご本人が「小説に近いけれど、小説からは(少なくとも僕が小説として考えるものからは)ちょっと離れた場所で成立しているものである、とおっしゃっているそうなんで…)は、現代の複数の高校の教科書に登場する。
・村上春樹(※敬称略)は、「よく」この作品を『朗読するのだそうだ(朗読する時期があった)』ともある。
・「国語教科書 ふゆふ社 小説教材の罠 田口耕平先生著」の中で先生は、この作品を「A対B」というような単純な構図ではなく、作品内の『対称性』に着目し、その「A」と「B」との間での「揺れ」を重視する考察を行っているようだ。過去の文学作品の中での『鏡』の「役割」にも言及している。さらには、この作品内で、人間が『自分の(本)心を知ること』の困難さ〈AとBとの間のゆらぎの分析とも関係している〉が示唆されているとも説明される。驚きなのは、『木刀を振る時の手』なども「剣道の所作」を踏まえて研究されている。この説で読み取れば、物語終盤、突然、暗闇から現れた『鏡』の中の人物こそが、『正しい木刀の持ち方』をしていたことになる、つまり、『鏡の中』の主人公こそが、『本物(リアル)あるいは真実』の主人公の姿であった、ということになるのだろうか…。
・「鏡に映った自分の顔」や実際に主人公が見た「鏡」の存在に関して、ご自分の考え方と比べてみたい方は、ぜひ、どこかでこの教科書を手に入れて、読んでいただければ、と思う。ひょっとしたら、「国立国会図書館」などで読める、東京の大きな「教科書販売会社」であれば、「教科書」の「棚」に、置いてある可能性があるのではないか、と思う。
・「鏡」の存在や「鏡の中に映った自分の姿」に関して、田口先生は、「2社」の「教科指導書(国語科の先生が持っている指導書)」で、「解釈(説明)」に違いがあることにも触れている。そして、その上で、ご自分の考察を加えられている。
★だとすれば、この部分の『解釈』は、出版社ごとの「教科指導書」やその「教科書ガイド」によって説明が違う〈つまり、複数通りの解釈がある〉ことになる。それは、当然、生徒が受ける『定期テスト』の「解答」にも影響する、ということだ。生徒が学ぶ「教科書」によって『解釈』が『違う』ということは、それぞれ学校で実施される「定期テスト」において、同じ設問であっても「複数」の異なった「解答」が存在することになる。
★これは、あまり考えずに、「過去問」を解かせ、時間に追われ、その「解答」だけを参考に、解説を板書する「勉強不足」の塾のセンセにとっては、けっこう厄介なのではないか。
・『同じ作品』で、「設問」が「同じ」であっても、『解答』は学校によってちがうのだ。塾の講師が、「A出版」の「教科書」を使用している「高校」の生徒から集めた『鏡』の「過去問」を、「B出版」の「教科書」を使用している高校の生徒に、「A出版」に合わせた『鏡』の「過去問」を「定期テスト対策」で解かすと、ま、最悪の話「嘘」を「教えた」と言われかねない事態になるかもや。
・こういう「事故」を避けるためにも、生徒の「授業」の「ノート」や学校の先生が配布する「資料」は大切(国語に限らず)なんよ、キミらが思っているように、塾の先生なら「学校のノート」なんて要らんやろ、ってことにはならんのよ。「点数」にも影響出るで。言われたら、ちゃんと、持ってってあげてな。
・自分の個別の塾では教科書が購入していたが、『教科指導書』は購入しなかった(2件目の塾では、毎年、国語担当の先生が、会社の経費で購入していた)…自分が購入しなかったのは、1冊『数万円』という値段も一つの理由…。が、「現文」「古文」「漢文」の、特に「教科書準拠」の「ワーク」は、「解答付」で「複数冊」、生徒の使っている「出版社」以外のものも購入していた。「教科書」が別でも、同じ『作品』が載っている場合があるからな。
・前にも書いたが、1冊、解答付きで、「3,000円」~「5,000円」程度で手に入るので、「教科指導書」よりは格安だし、生徒に解かせる「問題数」も増える。同じ設問に対して、記述などの「解答」が異なる場合もある。
・『定期テスト』の前の午前中は大きな本屋で、生徒が使っている出版社の『教科書ガイド』にも目は通していた。ただな、これ、問題の数をこなす、っていう意味では「安心感」はあるけど、特に上位校では、「ワーク」と同じ問題は出ないことが多いし、あんまり「効果」ないんよな。ま、「6割」程度取るための「確認」と言う意味では、勉強にはなるけどな。
・結局、「国語」の場合は、生徒と「音読」、「生徒のノート(担当の先生の解釈)」や「資料」の確認と「その学校を複数年分+その学校以外の複数の過去問(解答あり)」を演習することが、効果的なんよ。古文なんかでも、前後の「段」や別の「漢詩」などの解説、時代背景、人間関係をプリントにして配布しとる先生もおるし。学校によっては、「半分ここから出します」という問題プリントを配布しとる場合もある(答えはついてない場合もあるけどな)。
・「解答は」「解答は」ってしつこい塾のセンセおるやろ。ちゃんと理由があんねん。『過去問を解く』ちゅうのは、「過去問」と「その解答」、「授業のノート」「配布された資料」がそろう、そこが教える側にとっての指導のスタート地点、「典型的な問題」「デキなかった問題」を「時間内」で自力で「解けるよう」にする地点がキミらの「ゴール」なんよ。
・実際に、生徒、「現文」も「古文」「漢文」も教科書、「通読」してないし、「内容(何が書いてあるか、どんな話か)」も覚えてないんよね…これだと、自分で「ノート」だけ見ても、どんな問題が出題されるのかは分からんし、準備もできないやろ。
・「過去問」も使う時も、「解釈」が割れそうな「設問」は、前もって、それぞれの学校の「プリント」、生徒の「授業ノート」、その「過去問」の設問の解答」に目を通しておかないと、講師の方も、ええ授業にはならん。授業の「ノート」を見れば、学校で教えている先生が、どの解釈の立場を取って、何を狙って問題を作っているのかも、ある程度分かるしな。
・生徒の「ノート」と「学校のプリント」「過去問」の「3本立て」で対策を組み立てた方がええよ、って、そう、ここで「高校」の「国語」という教科において、初めて「過去問」が使えるって、話が出てきてもええんやないの、ってこと。
・ただし、「生徒」に音読させる、あるいは、一緒に音読する、または、大きな区切りごとに「黙読」させる、これらのいずれかをしながら、口頭で「内容」を確認する「作業」は、演習前にせなアカンけどな。「文章」を読んでおく(音読する)ことは、最終的に「入試会場」での「初見」の文章への「読み」や「理解」のスピード、選択肢への的確な対応」「漢字の読み」や「解く時間の短縮」にも影響するんやよ。
・分かってない生徒も多い、と思うけど、その「文章」が出る、その「文章」の「内容」を(何がどこに書かれているか)知ってるってこと、それは、範囲の決まっている「定期テスト」においては、絶対的なアドバンテージやからな。
★前の回にも書いたよな。だからこそ「たかが過去問、されど過去問」なんや。必要以上にありがたがるもの、でもなければ、「本番は、どうせ違う問題が出るんやから解かんでもええ」というものでもないんよね。
・たとえ、範囲以外の初見の「作品」が出題されたとしても、「勉強済み」の問題を「速く」解ければ、「初見の問題」に対する「時間」も「余裕」ができるやろ。日本人の読むスピードは、1分間に600字程度らしいけど、「本」を、普段、読まない生徒には、つらいと思うで。
★さて、国語の話が長くなった。ここからは、ちょっと飛ばすで。
★「数学」であれば、「過去問」の「解答」の方が問題になることも多い。最近は、保護者や生徒の目もあるし、毎年、まったく同じ問題が「定期テスト」に出ることが少なくなった。
・毎回、テスト後に「講師室」や「保護者面談」でよく耳にするのは、「センセ、やり方、違いました」「うちの子、解き方が違う、って『×』になりました」と言う不満。
・「数学」の場合、「過去問」自体、時間の関係で、塾の授業では「すべての問題」を解説できないことも多いし、それ以上に、過去問の「解答・解説」自体が、『今年、担当の先生』の「解き方」で「解説」されてない恐れがある(今教えている先生の解説ではない)、という問題が常につきまとう。
・さらに、「レベル別」に分けていない、同じ中学校の生徒を集めての「集団授業」のクラスは、同じ範囲を教えているため、一見「効率」が良いように見えるが、実は「点数」を伸ばす、と言う意味では、かなり非効率的やんな。同じ学校単位での『クラス構成』になることの多いこの授業は、単純に考えて「内申」「1」~「5」までの生徒がごちゃまぜで、一つの教室で受けることになる。
・ある生徒にとっては、解説を聞かなくてもええこと、別の生徒にとっては、より丁寧な解説が聞きたい、というようなケースが発生する。(当然、100点狙えるような生徒や自分で勉強がしたい生徒は塾自体を休むケースも出てくる…対策授業を塾側が「無料」と謳う理由の一つも実はそこにあるかもやな)…たとえ、生徒によって解く問題を指定して丸付形式にするにしても、「指導」が「薄く(一人一人に接する、分かりやすく言うと「かまう時間」が少なく)」なる恐れは否めない。目標の「点数設定」の説明のなく、問題を分けて解かされている生徒は、例えば、「なぜ自分は応用題を教えてもらえないのか。それでは、いつもと同じ点数しか取れないよ」というような「不満」を持つことも少なくない。
・例えば、「2次方程式」の問題。「平方完成」でいくのか、「数字の部分を移行」して解くのか、「因数分解」でいくのか、「解の公式」でいくのか。なんぼ、「解の公式」が万能やと言っても、「x2-9=0」のような問題を「a=1,b=0,c=-9」として公式に代入すると、計算ミスする生徒も続出や。直前の「対策授業」で「移行」して「x 2=9」の形から「x=±3」で説明されたのに、当日、問題文の「因数分解を使って解きなさい」という指示を読まずに、対策授業で教えられたままの解き方で、解答欄を埋めてしまって「×」だった、なんて話はよくある話。
・因数分解だけではなく、確率など他の単元でも、さまざまな「考え方」があるんで、「入試」形式で「このように考えた」「空所に適当な数字を埋めよ」というような『誘導問題』が解けない生徒も多いよな。ワイの感覚やと、「誘導が嫌い」と言う生徒は、「公式を導きなさい」「公式が成り立つことを証明しなさい」という問題が圧倒的に苦手なんよね。
・もちろん、どの解き方でも「中3生」なら、できるべきやし、本番、「問題文」を注意深く読むのは当然やけど…。まだ、さっきの「二次方程式」の例なんかは、まだ、笑えるほうやで。
・「証明」の問題で書き方が指定されとる(三角形の合同・相似で多い)場合(ま、条件の書き方や並べ方など)けっこう「授業で教えた通りに書かないと点数あげないよ」っていうガッコの先生多いんよね。これなんかも、「生徒」の学校の「授業ノート」を、塾のセンセが見ないで「無視」して「対策授業」の指導すると「悲劇」が起こるんよね。さっきの「誘導」のはなしやないけど、「誘導」されたら、かえってわからん、みたいな愚痴言う生徒ぎょうさんおるで。
・そして、問題なんは、「学校の先生の指示通り」書かなくても、入試だったら、問題なく「〇」の場合もある、ってことや。なぜなら、教書によっても「書き方」が違うからや。
・ちなみに、テスト前、「学校のワーク」の解答を『丸写し』して提出するときも、センセに「教えた通りの書き方(解き方)じゃないね」って「評価をさげられる」ケース、あるからな。ミンナ、注意してや。
・ま、「証明」に関しては、「書けない人多いから、書き方、統一するから、そろえてね」って先生の「心の声」も聞こえてくるけどな。
・「数学」の場合は、「過去問」が手元にあっても、結局、「時間内」で「8割」以上できるようにするには、自分で「手を動かして解く」練習が「塾」以外で必要になる。そうなると、ぎりで「内申」「4」の真面目な子は必死でやって「点数」出すかもやけど、「3」「2」「1」の子たちは「過去問」が手元にあってもなぁ、って感じになる生徒の方が多いと思うで。
★次、最後、「英語」や。「英語」に関していえば、ま、「4」「5」の子は、実力試しに、いきなり、『過去問』を解いてもええ(もちろん、他の中学校の過去問でも範囲が一緒の部分は解いてOK)ってことは伝えたよな。英語の平均点が比較的「高い」ことも考えると「4」の子でも十分「過去問」対応デケる生徒はおるやろし、同じような問題が出た場合は、「チャンス」になるかも知れんしな。
・「英語デキるジャンs」以外は、『過去問』より前に、まずは「学校配布」のワークの「付録」の『並べかえ』がお勧めや。「単語」を覚えるのもええけど、「英語」が苦手やったら、「単語」覚えるだけで、かなり時間かかるやろ。
・「教科書」の「音読」からやりましょう、っていうても「めんどい」って子多いからな。ホンマは、「音読」でまず、「発音できない単語」「訳せない英文」を洗い出した方がええんやけどな。「発音できない単語」は、「書けない単語」とけっこうかぶってんねん。「訳せない英文」は、「文法事項」や「熟語」「言い回しの表現」なんかにひっかかってる場合が多いし。
・「並べかえ」ちゅうのは、特殊な条件…「1語不足」「動詞の形を変えて」「一語多い」…以外の問題は、「すべて単語」載っとる訳やから。だから、ホンマ「並べかえる」だけや。それを、「時間(時制)」「数」「主語述語から始まる語順(ま、普段読んでくれてる人やったら、自分がなぜこれを文型と言わないか、分かってくれるとは思う)」に考えながら、文にしていくのが大切なんよね。
・その後、「単語」と「文法」を「学校のワーク」と「塾教材」で集中的に解いて固める。
・ここでも、「ワーク」の「並べかえ」だけは、絶対にできるようにしておいた方がええで。長い英作文を作れるようになるには、「並べかえ」で「かたまり」の「順番」を学ぶことが意外と効果的なんや。
・それをマスターした上でやけどな、なんだかんだ言っても、「教科書ににってる文」をすべて「和訳⇔英訳、口で言える、書ける」ことが英語勉強の「王道」やし最強の「理想形」だと自分は思ってる、ま、そんな時間ないし、やらんでもええけどな。ただ、しつこく言うとくで、高校生で、「コミ」の教科書の全文並べかえをした子が、ほぼほぼ、それだけで実際に「9」「10」ホイホイ取れてたからな(もちろん、プラス、普段の塾の授業もやけど)。
・「発音」良くしたいんなら、「音声教材」使てもええけど。「みるみる英語力がアップする音読パッケージトレーニング」みたいな本でもまとまった英文の「音読」練習できるし、英会話なら、「ラジオ英会話」のスキットをスラスラ言えるようにする、でもええ。めんどうなら、前にも書いたけど、「友達」と1文ずつ交代で「教科書」を音読したり「音読⇔和訳」したりしもええね。「教科書」でいくなら、まずは、1P「1分以内(中1・中2の教科書やったら30秒~40秒以内が理想やけど)」を目標に『ゲーム感覚』で「音読練習」を始めてみるとええかも。「教科書」の内容も分かるしな。
・気に入った海外の「配信者」の英語の番組を「視聴」するのもお勧めやで。英語の「力」をつけるにはやっぱり「継続」することや。毎日、英語に触れて「improve your English」を目指してな。
・ちょっと話がずれるけど、「YouTube」で、ある外国人の子が『日本語』で配信している番組があんねん。その国の「日常生活」を垣間見ることができて、なかなか楽しいんや。その子の日本語、関西弁チックなんやけど、けっこう上手いのよね。でも、「つ(tsu)」のは「音」がどうしてもうまく言えなくて「ちゅ」になってまうんよな。おそらく、その子の「第一言語」との関係やと思うんやけど…日本人が「英語」で苦手な「音」があるように、どの国の言語を学ぶときもそういうことは出てくるってことよな…でも、その子「小さな」つまった「っ」の方はきれいに発音できるんよね。ま、英語の発音記号にはない音(日本人的な思考やと表記されない音…「Tik Tok」や「book」 の、つまった短い「っ」の音)やけど、実際、日本人には英語話者が話すときに「っ」って感覚的には聞こえるからな。
★また、長くなってまった。ここまで、読んでいただき、おおきに。
★ま、『過去問』というのは、その教科が「苦手」な生徒が『一攫千金』を狙えるようなものではない、ということや。今、通っている「塾」に、自分のご子息・ご子女の中学校の「過去問」があり、「対策授業」も各教科、充実してますよ、と説明された、としても、「定期テスト」直前のスピード感のある学校別の「対策授業」を数回受けた、という『ノリ』『満足感』だけで、苦手教科の「内申」を「爆上げ」するという結果は、あまり期待できない、と考えた方がええと思うよ。
★村上春樹先生の「鏡」についても、何か続報を書かんといかんと思ってたんで、無理やり入れ込んでみました。
7月 第4週日曜 今年、すでに「マダニ」らしきものに2回噛まれれたんやけど…昨日、深夜、がまんできずに「カップ麺」を食べたら、また、足の先が痛み出すし…センセ、これって「痛風」ないん、普通の「痛み止め」でホンマ、治るの?今日は、朝から晩まで「雨」の予報やし…踏んだり蹴ったりやん…It never ends…
★「〈叱る依存〉がとまらない 村中直人 紀伊国屋書店」を読み始める。
7月 第4週日曜 その2 「高校野球」ってやっぱりええよね…2件目の塾に勤めていた時、ある女性講師が、言ってたこと思い出したわ…「もう、大学生になったら、ゼンゼン、ダメっすよ。たばこは吸うし、二日酔いで記録計るし、異性に夢中になって本番、力だせないし、試合途中であきらめちゃうことも多いし…」って、ちょっと…
★そりゃあ、みんながみんな、四六時中、大谷君や山本選手みたいに「ストイック」にはなれんよな。だから「大谷選手」は「大谷選手」なんよ。
★そうそう、昨日から北海道の「高校野球」の「準決勝」の生中継やっててん。日本の野球、世界で活躍する選手が多くなった今でもやはり「高校野球」は見てまうんよな。
★「甲子園」という「聖地」目指して、「同じ高校生」と言う「一種の」言葉の暴力(言い方が悪いんやったた「魔法の言葉」)とも言える言葉を信じ(勉強ならとっくにあきらめとるで…気持ちは分かるよ、でも、無理がある…母親や父親が、自分の息子や娘に対して『あなたと「学年1位」の子は同じ人間よ、できる、絶対できるのよ』は…ちょっと無理があるやろ)。
★ゲームの中でも、実際に「嘘」みたいな「奇跡」が起こることもある。「特別」な「機会」の「青春」の「ミラクル」や。
★そして、負けても、プロへの道をあきらめることになっても「この経験は今後、キミたちの人生の糧になる」という「監督」の言葉に素直に「涙」する球児たち…『素直に泣けるだけのことをやってきたんや』で、この子ら…学校の校長先生や担任の先生、塾の先生が「今、教室で学んでいることは、きっとキミらの将来の糧になる」っていったところで、ほとんどの生徒、感動せえへんやろが。
・何かをあきらめ(例えば、ほんの『数校』をのぞいて、ほとんどの球児が坊主にしているということもそうやろ)、周りの人に支えられている気持ちを忘れずに、毎日、野球にどっぷりつかった生活の中、仲間と「栄光」を目指す。
・不祥事があれば、出場停止になってしまう厳しい条件(いわゆる規律)もついてくる。
★「プロへの登竜門」「TVに映れる」「自分の進学アピール」「自己の承認欲求」<「チームプレー」「必勝」「執念」「甲子園」「全国制覇」や。
★「四番の送りバンド」「外野手を内野に1人守らせる守備体制」「泥だらけの1塁へのヘッドスライディング」「信じられない名手のエラー」「五打席連続敬遠」「大会最速を誇る投手擁するチームの敗退」「延長15回で決まらず再試合」「勝敗を分ける外野からのバックホーム」「負け確定の状況からの大逆転」…数々の「感動」と「ドラマ」を見せてくれる。高校野球ってホンマ、すんなりとは終わらん試合が多いのよな。
★と、同時に「あせり」や「油断」「緊張」「茫然」「愕然」「落胆」など、さまざまな球児の表情とともに、「流れ」「ツキ」というものの「きまぐれ」と「残酷さ」を画面を通じて思い知らせてくれる。そして、それはチーム全体に「伝染」する「勢い」と化して、時に相手チームをのんでしまう。
・人は、画面の中で起こっている事象ほど「ダイナミック」や「ドラマチック」ではなくても、どこかで自分も似たような「思い」を人生の中で「経験」したことがある、そういう「感情」を味わったことがあるからこそ、いっそう、高校球児たちの「球宴(9回という人生、ドラマ)」に魅せられるのではないだろうか。そういう意味で、「野球」というのも、日本人にとっては特別なスポーツなのかもしれない。
★今年も、もうすぐ「甲子園」の季節を迎える。楽しみやな。
★それにつけても、や。北海道の「高校球児」はええよな。「準決勝」「決勝」は「エスコンフィールド」やもんな。最高やんけ。うらやましいわ。


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