日記 八十の巻

2026年7月3日

6月 第5週日曜 複数の「有名アーティスト」のコンサートやイベント、プロ野球の試合が同時開催される日の「人の移動」を北海道の「首都 札幌」は今後、どう解決するか…再び「妄想」の世界へ突入

度々、「札幌」で「話題」になる「コンサート後」の「宿泊難民」。どうやら、ホテル関係者のお話を聞くと当日、けっこうホテルの空き室はあったようなんよね。でも、「バカ高」で、1泊「十数万以上(ま、さがせば、実際はそれより安い部屋もあるやろけど)」に値段が跳ね上がった「部屋」にはお金は使いたくない、ちゅうのがファン層の本音。そこで道内各地、「旭川」や「網走」など宿泊先を求めてさまようことになったらしい。

・これ、普通に考えて、『異常』事態やで。「札幌」でコンサートの後、用もないのに、「宿泊」のためだけに『特急』料金払って遠い他の土地に移動するなんて…。

・ま、札幌や札幌近郊のホテルの値段が高い。「宿泊代」に使うんなら、「グッズ」を購入したいファンの心理、分からんでもないけどな。確かに、「旭川」まで移動するんやったら、札幌で1泊「何万」もかけるより、かなり格安かもしれん。そういう『お財布事情』もからんでそうや。

これ、「札幌市」はどう思ってんのやろか。「ホテル難民」の出現は、コンサートやイベントなどで「ファン」が集中する一時的なものだから、今のところは、何とかこのまま乗り切りたいと思ってるとすれば…ちょっと怖いよな。

▶今更、ホテルを「ドカドカ」立てるわけにもいかない、民泊をそのときだけ急に何戸も増やせない…ま、ホテルの値段も「変動制」になってしまっとるからな。「泊まりたい」人が「多い時期」は必然的に「高く」なるんよね。

▶ちなみに参考までに調べてみると、北海道の玄関、『新千歳国際空港』の、コンサート後の東京行き「最終便」は21:30。これは、間に合わんやろ。電車で空港まで行けるかどうか…。行けたとしても、手続きができるかどうか微妙やし、逃した場合は空港で「朝まで待つ」コース確定やんな。

さあ、また、「夢」の「お話」のはじまりはじまりや

▶▶「札幌ー新青森間(青森駅経由)」で「コンサートのチケット」会社、「旅行会社」と「JR北海道」が連携し、深夜特急「赤い星」「青い星」「全横3席のオールグリーン車10両連結の特急北斗」「同じく全横並び3席のオールグリーン8両連結のはまなす編成」の運行、そしてチケット販売

・運行日は、「コンサート」や「イベント」などで乗車率が見込める日。札幌市内のホテルの値段が高騰するのが分かっている日に合わせる形で。

「札幌駅」の発車時間は、夜「10:30」「11:00」「11:30」「11:40」の4本。「札幌」で「10万」「20万」出して宿泊するよりは、どう考えても、安いやろ。「カシオペア」を運行して欲しいけど、残念ながら2025年6月に惜しくも引退しとるんで、ま、仕方ないな。途中、函館で時間調整をして、翌朝、「新青森」に到着や。できれば、グリーン車には、新幹線の『グランクラス』のシートを設置。周りに気にせずにリクライニング可能やから快適やで。

停車駅は、「札幌」「北広島(エスコンの新駅が完成したら新駅)」「南千歳」「函館(時間調整、乗降なし)」「青森」「新青森」。新幹線とのからみがあるんやったら、途中、「函館」ではなく、「函館北斗」の前で、列車交換のデキる駅で「時間調整」するんでもええよ。後は、貨物列車の運行との調整も必要やな。

・昔の「時刻表」をちょっと見たんやけど…上野発の夜行列車「北斗星」などが全盛期の頃、次の寝台列車との「発車間隔」が最短「30分」で運行されていることを考えると、「札幌駅」の「能力」があれば、この発車時刻で、対応可能じゃないかと思うんよ。函館本線は「複線」やしな。

「保線」がどうのこうの、って言われそうやけど、コンサートが重なっって、「ファン民族」「観戦民族」大移動の日だけの「運行」よ。何とかできるやろ。夜行列車で、それほどスピード出さんでもええし…どちらかというと「函館本線」の線路の状態の方が心配よな。

・「赤い星」「青い星」は言うまでもなく、JR北海道の新型特急車両。「札幌~青森」間の夜のクルージングをぜいたくな空間で過ごしていただくわけや。「花火」や「祭り」の期間も含め、観光だけではなく、「コンサート」や「イベント」後の「夜行列車」として、活躍してもろたらええんやないんかな。

「北斗」や「ハマナス編成」の特急を「オールグリーン」(グランクラスの椅子)にするのは、全指定の車両で、ゆったり、リクライニングの効く椅子で、コンサートの余韻を味わいながら、「いい夢」見て次の朝を迎えていただく、っちゅう考え。もちろん、半分、普通の指定席でもええけど、自分は、特別感があった方がええかな、って思う。

本州から来た、ファンの皆さんも、観光の予定もないのに、「寝る」場所をさがすだけのために、「旭川」や「赤平」「網走」「帯広」あたりまで逆行しなくてもええし。けっこう、ストレスよね、なんで自分、帰る方向と「逆」に向かってんのよ、ってなる。この列車設定は、それを解消する意味もあるのよね。

▶「JR北海道」もそれなりの料金設定でいけるやろ。

でもな~、ちょっと不安があるよな。そう、「台風」とか「雪」や列車自体の運行ができななってまう。「ファン」や「マニア(鉄道だけやのうて祭りマニアなんかも含めてな)」っていうのは、会場までは、天候に関わらず、「見たい」「会いたい」「参加したい」一心で、たどり着く人、圧倒的多数なんよな。

▶▶「自然災害」に巻き込まれた場合は、やっぱり「行政」が頑張ってもらわんとアカンで。って言うより、この「4本」の列車だでは、「輸送」に限界があるかもやし。ま、今回は、とりま「台風」と「雪」を中心に考えてみる。

・その場合、「札幌駅」や「新千歳空港」に「ファン」や「観客」がくぎづけになることが多いのよな。

・そう考えると、次の日の朝、「札幌駅」から電車で、あるいは「新千歳国際空港」から目的地に向かう人が足止めを食ってる形になってる、っちゅうわけや。

・当然「大和ハウスプレミストドーム」「エスコンフィールド」「市役所」などある程度「人がたくさん入る施設」を『一時待機場所』としての『解放』するんがええと思うで。ま、「職員」さんや「担当者」はちょっと大変やけどな。『自然災害』という「緊急事態」やねんから。一時的な「避難所」として機能させることにしたらええ

「コンサート」や「イベント」終了後の「大和ハウスプレミストドーム」や「エスコンフィールド」、「図書館」や「公共施設」で、たとえば「スペース」や「通路」などに「段ボールベッド」を作ったり「テント」を張ったりして「一泊しのげる」ようなしくみを作ったらどうなん?

・ま、自分としては、「台風」や「大雪」が予想される場合、「コンサート」や「イベント」当日、相談口を開設して、「宿泊施設」で困っている人に対して「宿」の紹介するだけでなく、「宿泊可能」な手段(もちろん、施設で「宿泊」する場合は、「ルール」を守ってもらうことに同意し、サインしてもらうことや「使用料」を取るか取らないかも検討する必要があるとは思うけど)を用意するということは、都市の「危機管理」であり、かつ北海道を訪れてくれる人に対しての「おもてなし」の一つの形やと思うけど…。

▶あ、荷物が来たみたいや…今日は、コンサート・イベントで「宿泊難民」を救うべく、夢を語る回でした。

7月 第1週水曜 図書館の帰りに母と喫茶店に入る…「H新聞」の記事を見てメッチャsueprised!また、これか…えっと…「AI先生」に相談して、電話かければ、警察が動く時代やん…「国会議員」の先生も、「質問」に立つ前に、「AI先生」の指示を仰いで、先に「ちゃんと『確証』を手に入れる手段、AI先生に質問してみたら?」…それより、「政策」の方、真剣に頼むわ、ホンマ。

★野党、本会議欠席?100…その中で「ある法案」が可決されてもうた…

「だれが悪い」とか「ちゃんと説明してください」とか「そんなんで、納得できますか、これ」の前にな、「法案」前にして「ふざけるな、もう、欠席っす」みたいなこの「立法府」の感じは何なん? ホンマ、あなたたち、子どもですか~?

そんなことするために、国民があなたたちに「一票」投じたと思ってるん?国民、観てますよ、有権者だけではなく、18歳未満の未来の「有権者」たちも!「ボイコット」「欠席」…こういう時だけ、「一致団結」なんやね。

多数決って「少数意見」の尊重とセットやなかったっけ。これって、単なる「建前」ちゃうよね。ま、その「少数意見」を主張する「野党」自体が「欠席」ちゅうことも…大問題やけど…。「決議」欠席って「意見放棄」やんけ。自民党もたいがいやけど、自分らのしてることも、ぜんぜん褒められることではないで。

★これやと、別の「政党」が政権取っても同じようなことが、今後も、起こる恐れ、大いにあるやんけ。

「総理」ってガチガチの「官僚政治」の中で、「10こ」ある中の「1つ」でも自分の自分の思ってる「政策」が実現できればええほうや、って言われてる、これ、なんかの番組で聞いたことあるで。それほど、「理想の政策」を実現するのは大変なんよな。それを考えると、「消費税『0』に」が「1%」にねじ曲がったのも十分理解はできるよな。

★「国民」の前で、一国の「総理大臣」が「宣言」した「食品消費税0%」、日本という国とともに今日まで続いた「天皇制」に関する「皇室典範」や「夫婦別姓」など、重要法案を前にして、「野党」が、また、「総理って、こんなことをする人なんですよ」っていう「政策」とは別の質問で「総理」を責め、「自民党」という政党の中で「別の勢力」にやいのやいの横から言われる。「消費税」に関しては、もともと「税金」を下げることが「ご法度」とされる「財務省」と真っ向勝負せなアカン状態や。

★自分は、別に「自民党」を応援しとるわけではない。が、このままでは、「自民党」大勝の「意味」がどこかに吹っ飛んでまうで。

★確かに「総理」の答弁も追及を何とかかわそうとしてるような対応に見えるけど(ま、国会では回答を変えないことは大切や、と思う、思うけど、事情があって、言えないことが出てくると、歴代総理って、同じ『言い回し』を繰り返すんで、印象があまり良くないよなこういうとき、支持率って下がってくるんよね…)

★「総理」を追求しとる側も、その「根拠」の「真偽」となると問題が全くないわけではないようで(特に、自分で『裏』を取らずに『週刊誌なんかに書いてある情報をもとに、これは、ことはどういうことですか』みたいな攻め方は、正直、どうかと思うで(週刊誌は、けっこうやらかすこともあるし)…浮気調査だって、「離婚」や「慰謝料」、責任を取ってもらうためには、確実な証拠が必要な時代やからな、まずは、十分攻められるだけの材料をそろえな、アカンよな)。「おおごと」になれば、自分にも「責任」がふりかかってくるような「質問」の仕方は危険やし、時間の無駄遣いやで。

自分たちが「払っとる税金」で、「ボクら」いったい、今、何を見せられてるん?たまらんわ。大人でしょ、自分たち、国民から選ばれた「人」でしょ。「選挙権」の大切さを、もう一度、考えて、小学生、中学生、高校生に、自分らの態度で示してや。

★あ、そうそう、久しぶりの『喫茶店』の「BLTサンド」はメッチャ美味かったで。母親には、ちょっと「冷房」きつかったみたいやけど。

7月 第1週木曜 村上春樹 ※敬称略 の「鏡」を読む。これって、今、「高校の教科書」に載ってるんやね。定期テストの「問題」作るの、ちょっと難しない?自分の考えすぎ?

★図書館で借りて来た「小説教材の罠 田口耕平著※敬称略 ふゆふ社」のページをめくる。多分、東京にいたら、手に取ることはできなかった本だと思う。

★教科書の「研究」本みたいな感じやね。「第一章」では、高校一年生の教材から。まずは「村上春樹 ※敬称略」の「鏡」。

★「教材」自体を読まなくてはどうしようもないんで、久しぶりに「カンガルー日和」をめくる。この中に「鏡」が収録されとんのよね。

…「主人公」が高校卒業後、中学校の夜警の仕事をしていたある夜のこと、「プールの仕切り戸の音」の音が聞こえてくんねんけど、これが、自分、けっこう気になんねんな…「うん、うん、いや、うん、いや、いや、いや……」って聞こえる音。この聞こえ方自体、すごない? これが、台風の影響でなり続ける。「いや」が「。」の前に「3」回連続。「うん」よりも、一回多い。最後は「否定」の「いや」で、その後「……。」が続くんよね。

★夜の3時、目覚めた「主人公」は、嫌な予感(違和感)を抱きながら、2回目の校舎の「見回り」に出る。見回りの終盤、「主人公」は、昨日までなかった場所に「鏡」があることに気づき、驚く。

・知ってる?夜の学校って最高に「怖い」んやで。自分、小学校4年生の時、友達にかりた本を学校の机の中に忘れて、親に「どうしても取りに行け」って言われて、夜に取りに行ったことあったんよ。

・通ってた小学校には「用務員さん」がおったんやけど、教室まではついて来てくれへんかった。

・当時、自分の教室、4年5組は「二階」やったんやけど、懐中電灯片手に持ちながら、そろそろ、階段をあがっていったんよ。3秒後、自分ののどから奇妙な「悲鳴」が発せられ、腰が抜けそうになった。階段の踊り場に「でっかい鏡」があったんや。そこに映った「自分」の姿を見て、思わず、泣き叫んでたんや。あんなに「自分の姿」が怖いなんてな…。

★主人公も、暗闇の中で、懐中電灯の光に浮かぶ、自分の姿に肝を冷やしたにちがいないねん。「反骨心」のある、みんなと同じ道を進むことをよしとしない気質もあってか、話の中では、ずいぶんと強がっとるように書かれとるけどな…。

★「もう一人の自分」の姿が「鏡」の「像」だと分かって、自分自身に「ただの、鏡に映った自分やんけ」と言いきかせる。とりあえず、たばこを吸って、ある程度、落ち着いてきたところで、「鏡の中」の「もう一人」の自分から『第二弾』の「猛攻」が始まるんや。

★鏡の中の自分に「怒り」を向けられ、そのまま「金縛り」にあい、心身を「支配」されそうになるんや。メッチャ、怖いやん。夜の、しかも2時、3時台、誰もいない校舎、からの「鏡」やで。ホンマにヤバいって。

★自分を「乗っとられる」寸前、やっとの思いで、「呪縛」を振り払い、「主人公」は、手に持っている「木刀」を投げつけ、「鏡」を割る。やっと、「虚構」の世界を振り払ったと思った、その時、また聞こえてきたんが、さっきのプールの「仕切り戸」の「音」や。しかも、この音、部屋に逃げ帰った後も、朝まで鳴り続ける。つまり、この音は重要な役割を演じとるんや。

★さて、確かに、この話、「主人公」が、ある経験を通して、〈思想や生き方〉が「A」から「B」へ変わった、というようにも言えるが、「A」から「B」には完全に変わり切れなかったとも言える(他にもとらえ方、まとめ方はいろいろあるんで、自分なりに考えてみてな…例えば、『日常』『非日常』と言う言葉を使ってもええやろし、『他の友達』との話の『違い』なんかでいくことも、『人間の本質』みたいな言葉でもイケそうや)。

★「主人公」が語るところの「鏡」の体験前の「散文的人生」の「散文的」に込められた真意は? そして、なぜそういう「言葉」を選ぶ必要があったのか。さらに、その「散文的」人生は、この体験の後、「本質的」な変化があったのか、否か。あるいは、その後の人生は「散文的」に対して「韻文的」「詩的」といえるのか。だとしたら、それはどんな人生なのか…「主人公」は「鏡」を割ってるからな。「割った」直後の思いと、しばらくたった時の思いのちがい、あればどう変化したとみんなは思う? 現在も、「主人公」は「鏡」を部屋には置いていないんや…。

・人間は、なかなか「変われない」もんやろ…友人に何を言われようと、親に口酸っぱく何度も注意されようと、先生にこんこんと説教されようとも、自分ではそうだと分かっていても、や。

・しかし、人生のうちで何度か、良くも悪くも、「遺伝」の影響をはるかに超える「変化」が訪れる機会がある。ま、ある種、自分を変えられるチャンス(もしくは「変わること」を無理やり受け入れざるを得ない瞬間)やね。

・それは、「大切」な「家族」や「恋人」、「愛するペット」との「離別」「死別」するような場面、「自分自身」の「健康」や「記憶」を著しく失うようなときであると言えないやろか。

・「主人公」は「学校」の「暗闇」という空間で、自分自身を「見失う」という「ドッペルゲンガー」的な異質な空間〈非日常〉衝撃を体験したのではないか。暗闇の中、自分の懐中電灯の光の中に浮かびあがった「鏡に映る自分」に襲われ、「A(現実の自分自身)=A’(鏡の中のもう一人の自分)」から「A=A」(鏡の中の自分に征服されそうになった)のではないんやろか。

・こんな感じの延長線上で、何かのきっかけで、自分の「脳」が完全に支配されて、自分でありながら他の何者かになってもうて…パニックから帰還できへんかって考えたら…そうとう怖ない?

・あの時の、小4生の時の「自分」、「鏡」の中の自分を見た瞬間、「懺悔〈ざんげ〉」、それこそ何かに必死に謝る、祈る、気持ちがあったことを、ここに、書いておきたい…ちゃんと、昼間、下校の時に本を持って帰らんかったのが悪かった…日頃のだらしなさが、いつか、とんでもない、取り返しのつかんことにつながるんや、と。そう思うと…確かに、「これでいいんだ」と生きて来た「本人」に対し、「鏡」の中の自分が「怒っていた(怒ってくれた)」のかもしれない…。

★「主人公」は、「対比するような世界観」、例えば「生」と「死」とか「霊が見える人」と「感じることもない人」というような提示し、2つの世界が「交錯」することがあること、2つの世界に分けた時、一方的、偏った経験をする人がいる〈ある人たちだけが経験可能なこと〉(例えば『霊が見える人』と『見えない人』の体験)のようなことについて、前半で語っているんよね。

★後半、主人公が経験した「鏡の中の自分」の存在、「鏡の中の自分」との対峙を「高校生」はどのように読むんやろか、すっごい興味あるわ。

★さらに、「主人公」は最終段落で言うんやで、『もちろん鏡なんてはじめからなかったよ…玄関の下駄箱のわきに鏡がついたことなんて一度もなかったんだ…というわけで、僕は幽霊なんて見なかった…僕が見たのは――ただの僕自身さ。‥‥僕はあの夜味わった恐怖だけはいまだに忘れることことができないでいるんだ』と。

★「竹刀」で割った感触、「鏡」の破片、何もの怒ってないのん? 最初からなかったことに…なっとるん? ここ、授業で説明されてない生徒、試験で傍線引かれて「主人公の家に今も鏡がないことを踏まえ、傍線部がどういうことか、説明しなさい」って言われたら、すごい答え書いてきそうやね、ゾクゾクするわ。自分が現役やったら、めっちゃ嫌な問題やけどな。

★「対策授業」ならこう教える、みたいなもん知りたければ、『教科書ガイド』や『ネット』でもすぐに見つかるやろ。ガッコの先生たちは「教科指導書」手元にあるやろし。塾のセンセは実際の定期テストの『過去問』もちろん手元にあるよな。

・村上春樹先生ってホンマ、すごいよな。短編を何冊か読むだけでも、その「すごさ」分かるで。ぜひ、別の作品も読んでみて。

・例えば、「世界中の人が読むだけで、自然に日常を感じられるように書かれた『東京』」「日常を意識させたままの、平行的な非日常空間への突入」…これだけでも、もはや、「ノーベル文学賞」を超えてるよな。

・そもそも、「ノーベル文学賞」って昔は「刑務所」に入らないと取れない、って言われてた時代、あったやん。ま、どうしてかは、興味ある人は調べてみてな。

・〈異世界〉をこれだけおだやかに、冷静に、滑らかに描ききり、「多様性」のいわゆる「毒」の部分だけをうまく、とげとげしく,おどろおどろしく見せないような表現力…まさに「時代」には「早すぎ」た「Mr 天才」ですやん。

・以上、独断と偏見で「鏡」を読んでみたで。

★田口先生の本は、一度、読みたいと思ってて、探し続けてたんや。アマゾンでも、この本は、売ってないしな。まさか、「図書館」にあるとは。ホンマ、ラッキーやで。

★そろそろ眠くなってきたんで、明日、田口先生の本を読んでみるわ。次の作品は「羅生門」やね。当分の間、楽しめそうや。これ、「教科書」買った方がええかな…中学校の教科書は「図書館」で借りれたような…。また、気になる「作品」があったら、感想、書くかもやで。

・じゃあ、ここまで読んでいただき、おおきに。(7月3日、早朝、起きて、書きたいことがあったんで、読み直して訂正・加筆させていただきました。本日、用事があるんで、「鏡」の田口先生の解説を実際に読むのは、午後になりそうです)