日記 六十五の巻

2026年5月20日

5月 第2週木曜 休筆日…GW最終日の温かい朝、祖父が買ってくれた五月人形を箱の中にしまう。子供の頃、刀とか、弓矢とかいじりまくって遊んだんで、傷んだり、壊れたりしとる…。ネットで調べたら、単体でも売っとるようや。さすがに、これじゃあ、人形さんがかわいそうなんで、買おうかな、と考える

★「余計なお世話」と言うサブタイトル付きやけど…「五月人形」で、英作文で参考になるかな、ちゅう感じの言葉やフレーズを少しだけ書いとくで。

・端午の節句を祝う celebrate Tango-no-sekku

・五月人形を飾る display Gogatu-ningyou/ children’s days dolls/ Japanese warrior dolls

・~を意味する、象徴する人形 a doll that symbolize~

・たくましく健康に育つ grow to be strong and healthy

5月 第2週土曜日 実際に「若い命」が絶たれている事件が同時発生しているにも関わらず、まるで、「認めたら終わり」のような、責任の重さを1ミリも感じられへん言動を繰り返す大人たち…この先、この国の子供はどうなっちゃうの、ってなんか悲しくならへん?

★2030年から日本で「デジタル教科書」導入って?

★前に「スウェーデン」が印刷された教科書に戻した話、触れんかったっけ。

★「ヤフーニュース」で見たんやけど、スウェーデンの場合、「検定教科書」的なものがなく、広告などが掲載されている教科書も多く使用されていたようで、その点、日本とは違う面もあったようや。ただし、教科書の「デジタル化」後、「PISA」の成績は下がるという結果が実際あって、教科書を「印刷されたもの」に戻した模様や。

★「読売新聞」によると、2022年「PISA」3分野(読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシー)で1位のシンガポールでは、小学生には「デジタル端末」を配らないことを決めた、とある。

大人でさえ、「スマホ」を見続けていれば、集中力は落ちるし、目も疲れてくるのは明々白々。加えて、「手紙」や「連絡」を「メール」や「SNS」で済ませ、「エッセイ」や「論文」、「原稿」も手で「書かない」ことが多くなった現代、「ワード」などを使って「文章を打って」いる人なら自分が「子供の頃より漢字に弱くなった」と一度は感じたことがあるんちゃう。そもそも「手」で「書かない」ことが多くなったんやから、「書けなくなる」のが当たり前っちゅうことが分かっていても、「デジタル移行」先優先が大前提なんで、大きな声で言わん人が多いような気がすんねん。

「興味のない」番組は「×」や「停止」ボタンクリックですぐに消すんが当たり前の「デジタル世代」やろ(一昔前は、TVは見たい番組がなくてもついているのが普通やったけど…)。

★そんな子供たちが「自分」が「嫌いな教科」の「画面」に「授業中」集中させられ、家でも宿題で「画面」を通してその教科と「お付き合い」させられるねん。耐えられるわけ、ないやん。教科書「デジタル」に変えただけで、大きく何かが変わるんか?

★親って、あれだけうちの子、「好きなゲーム」に「熱中」すんねんから、「画面」で同じように「勉強」できたら、「すごなる」って思いがちやねんけど…そう甘くはないねんよな。まあ、批判を覚悟で言えば、「遺伝」の影響も大きい。これを払拭するような「環境」を調えるのは、「至難の業」やで。前にも書いたけど、「親を超えていくのは簡単なことではない」からな。

★「ネット環境」があれば、当然、タブレットを「別の目的」で使う生徒も出てくるし。なんせ相手は「デジタルネイティブ」なんやから。

★「学力の低下(デジタルだけではなく、他の要素と絡み合ってっちゅう可能性も当然あるやろけど)」以外に、「ヤフーニュース」によると、子供たちからは、「家での復習がしにくい」、教師たちからは「長文を深く読む力が低下した」「書く力が衰えた」「子供たちの集中力が低下した」などの声が上がっているということや。

★少なくとも「視力の低下する」「集中力を継続するのがつらい」「板書を時間内に写せない」子供や、「漢字が書けない」「記述が書けない」子供が、今以上に増える恐れがあることは記事を読んだ段階でもある程度予測できるんちゃうかな

日本では、「紙」の「教科書」と「デジタル」の「教科書」の併用も可能なようなことはうたってはいるが…これって「教科ごと」に「デジタル」の「教科書」にするか「紙」にするか選ぶんかいな? それとも、一応生徒に両方持たすんかな?

★一例として、教師側が、「授業」で「紙」の「教科書」を使ったとする。授業中、生徒が「教科書」にメモを取った(実際に中学・高校と学年が上がっていくとそういう勉強の仕方を得意にしている生徒いる)とする。生徒が、紙の教科書を「置き勉」してしまった場合、「家」で宿題をしようと「タブレット」を開いても、授業中、自分で書いたメモが見られない、ちゅうようなことが起こりうるやろ。逆の場合もまた、同じや。

★自分たちの時代でも、自分のノートに書いたることが「分からない」、つまり、授業中、必死に「写しただけ」で内容が伴ってない場合は多々あったで。つまり、「自分がメモしたもの」があったとしても、「理解してない」場合があるのに、「メモしなかったり」「メモしたものを見直せなかったり」する場合、さらに勉強が低下する恐れが出てくる、ちゅうわけや。

★授業で、「デジタル教科書」と「紙」の教科書同時に使える場合を再度考える…例えば、科目によって机の上にあるものが多くなるよな(タブレット・教科書・ノート・資料集など)。教科によっては、「デジタル」「紙」の「教科書」両方授業で使う、いや使える場合も出てくるってコト?

★確かに「社会」なんかを勉強してるときは、「デジタル」の教科書を見ながら「地図帳」や「資料集」を開けた方が教える側は便利よな。「数学」も「立体」を実際に「タブレット」で確認しながら「教科書の例題」を「ノート」に解くなんてことも可能になる。でも、これって「教える側」の都合に偏る恐れ、あるジャンよ?

★生徒、ひどい場合には、「白板」や「電子黒板」見て「教科書」読んで「タブレット」確認しながら、「ノート」とる状況になりかねんで。

今、「教科書を読めない」生徒が増えているだけじゃのうて、「はい、じゃあ、15P開いてください」っていうセンセの声が届かない、反応が鈍い、動作が遅いことも問題になっとるんよ。これは、デジタルに変えても同じこと起こるし、変えるだけでは直らんで。そして、生徒の見るものが多くなればなるほど、授業、別の意味でやりにくくなるんちゃうの?生徒の集中力もより必要になるし。 環境をととのえる、道具を便利なものに変える、システムを変えるだけじゃ、生徒の「学力」上がらんとワイは思うで。

★自分の時代は、「生徒」に教科書読ませている間に「略地図や教えたい内容」を黒板に書いてセンセがおったし、「図形」だって「立体の切り口」なんか黒板で上手く説明するセンセ、いたで。TVなんかで、学校のセンセが忙しい時に、子供たちが、「AI」に教えてもらってるシーンがよく出るよな。「AIセンセが分かりやすい、分かりやすい」って言うけど、「オモシロい」と「分かる」と「デキる」は当たり前に『べつもん』やからな

その「センセの授業がオモロイ」からクラス全員「内申」が「5」になるってことは、まずないし、「授業で分かった」からと言って「テスト」で時間内に「答案用紙を埋め」て、「点数が取れる」わけでもないんよね

★そうそう、「書く」ってことに、いつものように、ちょっとだけ、こだわるとな、「グランドピアノ」と「電子ピアノ」とは「タッチ」が全く別物なんや。何が言いたいか、っちゅうと「毛筆」で書くのと、「鉛筆(自分はシャープは慣れると鉛筆とほぼ一緒の感覚やったけど)」で書くのとは「同じ字」でも「タッチ」がちゃうんや。自分、「PC」や「タブレット画面」に「字」を書くときはずいぶん違和感あったで。これ、「紙の本」の「手触り」や「匂い」と一緒のようなもんですごく大切なもんなんやないか、って思うけどな。

「憂鬱」なんて、「タッチペン」とかで書いても書いた気ぃにならんのは自分だけ?あの、紙の上をすべるときの「強弱」や「速度」「抵抗」「細かい部分の手の運び方(真ん中たりのコチャコチャした部分を手を少し浮かして書くリズムとか)」の微妙な感覚が自分は感じられんのよね。人によって差はあると思うけど、そういうの、手の「記憶」につながってるんちゃうかなあ?

★逆に、「アンダーライン」なんかは、自分、紙の本でも、「タブレット」でもあまり感覚が変わらんねんけど、みんなはどう?

★勉強って「なんで自分、できへんねん」「なんで自分、分からんねん」って悩んで、腹立てて、泣きそうになりながら「書きまくったり」「解きまくったり」「計算しまくったり」「途中で手止まって何時間も考えたり」して「正答」にたどりついて、初めて、できるようになんねん、って…自分は少なくともそうやってやってきてんけどな…。古いかも、やけど、自分、今でも、新聞の「片面印刷」の「織り込みチラシ」の裏、メモ用紙、計算用紙として使ってんねん。

★「和歌からはじまる大人の教養 著者ピーターJマクラミン」読んどる途中やったんで、そろそろ本に戻るわ。今日も、おおきに。