日記 五十二の巻

2026年3月25日

3月 第四週火曜 確かに書くのは読むのよりも遅い…でも、覚えるのではなく、使えるように勉強するとき、1回書くなら、10回読め、で本当にええのん?

★近くのコンビニ「A」のレジで、自分から「袋ください」と言わないと、そのまま品物を手前に押し出されることがある。北海道には、レジ袋無料のコンビニ「B」も存在する。「B」では何も言わなくても、断らない限り袋に入れてくれる(もちろん、買った商品が缶コーヒー1本の場合は違うが)。エコを意識するのも分かるし、自分もコンビニでバイトをしていたので、「袋に入れる」際の気持ちも分かる(自分の時代は客にことわられない以上、レジ袋はつけるものだった)。「A」というコンビニには推しのレジの子がいて、その子は、買い物客の店内の様子を観察し、レジでは、マイバックを持っていてもいなくても「袋、要りますか」と声をかけてくれる。

★コンビニを使う時、自分に必要なものを調達するという意識はない。挨拶をしてもらい、気持ちよく「買い物」をしたいのは、わがままなのか、はたまた自己中なのか。「マニュアル化」が進み、ついに、それがあらゆる状況で「最強の対応」になりつつある社会になってしまった。

★なぜ店員は、1回三千円も四千円もコンビニで買わない、普通の客の日常の姿に反応し、「人間の値踏み」をしてしまうのか…あの客、いつもこの時間に来るよね、仕事してないのかな、あのガキ、なんでこんな時間にウロウロしてんの、どこの学校だよ…こっちも社会の窓全開の店員に言われたくねえや。

★久しぶりに、「ラジオ英会話」の予習をする。やっていないと時間がかかってしょうがない。

・スキットを黙読→意味を考えながら音読→日本語訳を見ながら、英文を言う、そして確認、日本語訳との違和感があれば、Deeple翻訳で調べ、メモを入れる。仕上げに音読。これは、つっかえたら再度やり直す。

・教えていた時代に生徒が間違えやすかった文法項目や説明にマーカーを入れる。文法書で周辺事項を確認。英作セクションは、まず、

・和文英訳。ここは、あえて「手」で書く。以前は、スキットも日本語訳を見て書いていた。答え合わせで納得いかない部分は徹底的に調べる。

★「法助動詞の底力」を読み直す。気づくと母を散歩に連れい行く時間になっていた。

★「谷川俊太郎×俵万智 対談集 言葉の還る場所で」を読む。オペラを日本語で作るとおかしなものになる、は個人的に賛成。多分、谷川さんのオペラ、昔、観たことがある。

★個人的には、音楽もそれほど言葉より自由ではないと思う。言葉で目の前のすべてのことを表現でできないように、すべての情感や動きを「音符」という形では表現できないと個人的に思う。

・だから、作曲家は「ad lib」などの記号や「連符」や「変拍子」を駆使し演奏家は「楽譜」からさまざまな情報を読み取ろうとする。ショパンの「マズルカ」だってただの三拍子ではない。「アルゲリッチ」や「リヒテル」の演奏を聴けば、楽譜への理解力や解釈の深さに驚く。作曲家は、風の音も(なぜか多くの外国人にとって虫の音はうるさく聞こえるというのは不思議なことだ)、恋心も祖国への思いも「音符」という記号でしか書くことができないからだ。もちろん、音楽にも、「国」の言葉や所作などの違いはいわゆる「フレーズ」や「歌い方」「音色」に出ると思う。「ドイツ」と「フランス」のオーケストラの「色」が違うように。

★忘れないように、ノートにまとめる作業に入る。最初の1時間は乗らなかった。途中で面倒になる。が、1時間を過ぎたとき、「本」の中にやっと入れた。「読み」「書く」ことで充実した時間を過ごせた。ありがたい。

★もともと天性の怠け者なので、疲れた。しかし…よくよく…字が下手になったな~。

3月 第4週水曜 風景が激変する春の北海道、朝晩はまだ寒さが残る中、日中の気温が6度を超え出すと、突然目の前から雪が消えていく…

★1週間前にスニーカーを玄関に並べた。まだ、今年、一回しか使っていない。念のため、朝のゴミ出しのときは、スパイクつきの靴で外に出る。何年もはいていて、もうスパイクはほとんど残っていないが、それでも心の余裕にはなる。夜明け前後は、まだ気温はマイナスだ。ところどころ歩道は解けた水が凍っているからだ。

★先週までは雪が邪魔をして、公園に足を踏み入れられない状態だったのが、今は、公園内のベンチに座って休むこともできるし、フリスビーと戯れる犬の姿もある。ちょっと前まで、雪の中の「人一人通れるような道」を転ばないように歩いていたなんて、とても想像もできない。除雪された雪で、おおわれていた公園の周りは、土と草の匂いが漂っている。

★外に出たついでに、近くのコンビニで「朝飯」を調達する。日本一「せっかち」で「待てない」と言われるようなpeopleが住むこの町だ。自分も嫌な思いをしないように、出勤で急いでいると思われる人に先に外に出てもらおうと少し横によける。すると、その方も、にこっと笑って「お先にどうぞ」という仕草を返してきた。一瞬の出きごととともに、開いたコンビニの自動ドアから、さわやかな風が入ってきた。まだ、少し、冷たいのではあるが、やわらかい、どことなくなつかしい香り(a scent that feels somehow familiar)のする風。

★おそらく、1年間に「数度」しかない「気持ちの良い」瞬間だ。これを私は「共有」を叫びたい。ただ、「伝えるだけで終わらない」「知らせるだけで終わらない」。うわべだけ「分かったふりをしない」。ちょっとしたことかもしれない。見知らぬ人(この場合 stranger ではなく someone I happened to meet today なんかな)との、こういう心の交流(real communication)の時間こそ「共有」と私は呼びたい。まさに「目と目で通じ合う(to understand each other without words)」なのだ。

★「ノってきた」ところなのに、「呼びたい」と打とうと(ここも『うとうと』が『ウトウト』(dozing off)と出てしまう)すると、『予備隊(reserve forces)』と変換され、一気に萎えた。

★「ロッシーニ アルジェのイタリア女」のスコアーを見ながら「YouTube」を聴く。44歳で料理の道へと転向した、天才作曲家ロッシーニ。ベートーベンもその人気に嫉妬したと言われる「オペラ」のヒットメーカー。一方でロッシーニの「弦楽四重奏」はモーツアルトに似ているとも言われることもあるようだ。

★個人的には「カラヤン」の序曲集が好きなのだが、お勧めにはなかなか出て来ない。料理に精通する作曲家の音楽をジェット機を操縦するような男の指揮で聞く、何か味が合っておもろない?

★前も「ドボルザークの交響曲第9番 新世界」をさがしたときに「カラヤン」や「ノイマン」は上の方にヒットしなかった記憶がある。クイズ番組では、「四楽章でシンバルが1か所だけ出てくる」ことで有名な交響曲だ。「小沢征爾」をはじめ、有名どころの日本の指揮者もレコーディングしている。この交響曲の「四楽章のシンバルの音」の聴き比べをしてみるのも面白い。カラヤンだけで「いくつも」のレコーディングがあり、どれも「音」が違う。 

★こういうとき(今、求めているものが見つかるラッキー度合い)には「普段の行い」が「間違いなく」影響する。いやだいやだ。