日記 五十八の巻
4月 第4週月曜 廊下を散歩すると言って消えてしまった母を外に探しに出る…3件(部屋)先の同じ階の方が母と一緒にいてくれて一安心…やっぱご近所様ってええなぁ
★自分は、車を持っていない。典型的と言われる「車社会〈a typical motorized society 〉」の北海道。老若男女問わず免許を持ち、移動手段として、自分の車を所有しているのが普通だ。
・病院に行く、保育所や幼稚園、学校に子供を送る、町に買物に行く、出勤する、遠出するだけではなく、コンビニに行くのも車。けっこう「ゴミ捨て(北海道ではゴミを投げる、と言う)〈take out the trash / throw away the trash/ garbage〉英語も『投げる』って使うんやな…」も「車でgo」という強者も多いんや。いくつに関しては前にも書いたよな。
★東京で、生活をするようになった19歳の時から、北海道に再び住むようになるまでの約40年間、春、夏の休みを利用して、母の顔を見たくて、けっこうな回数、北海道に帰ってたんよね、ワイ、高校生の時、親父が死んでもうてから、母子家庭やしね(冬は寒いし、飛行機や特急が運休することあんねん)。
・勤めてた塾もけっこう気ぃ使ってくれて、何かあったら、すぐに「顔を見せてこい」って休みくれたんよ。母の具合が悪くて、入院している病院を訪れたり、手術に立ち会うこともあった。
★母が、今いるアパートっちゅうかマンションみたいなところに引っ越してからもう20年近くなる。
・その間だけで、肩を骨折して入院し(これが転倒による『骨折』の1回目)、ある年は年明けそうそう「肺に細菌が入り高熱」を出し、その後も、「網膜剥離(2回)」「イレウス(1回)」と全身麻酔の手術から何とか生還し、歩ける状態で現在に至る。手術をしてくれた担当の先生に本当に感謝である。確か、母は、10代の頃から数えると、6回か、7回「全身麻酔」の手術を経験しているはずや。息子としては、本当にすげえ人だなな、と思うしかない(ホンマ、よく生きとってくれとるよ)。
★「イレウス(腸ねん転)」は自分が北海道に帰るきっかけになった手術だ。
・救急車で病院に運ばれる中、電話で、「だいじょうぶだから、何も心配ないから」と聞こえてくる声を聞いたその夜、ワイは、眠れずに、朝まで東京をふらふらとさまよっていた。
・次の朝、病院から電話がかかってきた。お盆中に『緊急手術』をしてくれた外科の医長は、「コロナの時期だから、来ても会えませんよ。手術は責任を持ってします。先生も生徒の指導に専念してください」と手術の前の日に電話で話してくれた。
・あの時ほど、どうしようもなく涙あふれてきたことないわ…もう、その当時、母は、85歳は過ぎてたしな…こんな歳になって、また、全身麻酔…「また、母ちゃんと散歩したいな。並んで川のふち、いっしょに歩きたいな」って思うと、もうたまらんくてな。父親が死んでから、好きなことをさせたいと、東京の大学に進学させてくれたんや。「二十」の頃から、心配ばかりかけて、在学中、困ったときは「金銭面」でも「精神面」でも支えてくれたんや。ワイは、今度、生まれて変わっても、必ず、母ちゃんの息子として、生まれてきたい、と思っとる。
・手術後、再び手術を担当した先生から電話がかかってきたわ。「手術は成功です。お母さん、手術が終わって麻酔から覚めたときに、何か食べたいものがありますか、と聞いたら、『おそばが食べたたい』と言っておられましたよ」って言ってくれてな。。。ありがとう、先生。約束守ってくれて、今日も、一緒に散歩したで。
★また、話、飛んでもうた。
★でな、このアパートっていうかマンションみたいなとこに母親と一緒に住むようになってから分かったことなんやけど、どうやら、数年前から、住民が「〇◎さん派」と「◇▽さん派」みたいになって、仲悪いんよな〈don’t get along/ be on bad terms with~〉。
・昔は、普段、あまり話をせんような人でも、「暑い日や「雪の日」になると、車から「乗ってく~?〈Do you want a ride?/ Do you need a ride ? I can take you.〉どこ行くの~?〈Where are you going?〉」と声をかけてくれてやもんやけど、今は、すれちがっても「挨拶」もして〈exchange greetings〉くれひん人もいるんや。ま、こっちは普通に「こんにちは」「おはよございます」って声、これからもかけ続けるどな(そういえば、なんで塾って『芸能界』みたいにいつも『おはようございます』ってあいさつ使うんかな。親との面談の時だけだやで、『こんにちは』って言うのん?)。
・これは、また別口の話やけど、ここに住んでるの、高齢者が多いし、その中にはウチも含めて「障害者」の方も数人住んどる。夜6時以降は、廊下や外ですれ違う人もまばらやし、自分が、長く東京に住んどったせいか、「お晩です」ちゅう言葉は、よう使わんような気がするわ。
・で、なんや、このアパートっていうかマンションみたいなとこ、ずいぶん「形式的」なお付き合い〈just a/the superficial relationship/ a/the surface level friendship 〉になってしまったな、ってがっかりしてたんよ。
★でもな、昨日、やっぱり『人ってええな、ここも捨てたもんじゃないな』って思うことあったんよ。
・母親、最近、自分がいないと「不安」で「寂しく」なって、「コンビニ」や「病院」に言ってる間、部屋で持ってられへんくなってきてん。で、「部屋の中で待っててね」と念を押して出ても、廊下に出たり、エレベーターの前で待っとることもあるんよね。
・自分で、歩けるし、ホントは、散歩も自分で好きな時間に外に出たい、息子を迎えに途中まで出たいんよね…。でもな、コッチとしては、もしものこと(今度、転んだり、階段でこけたり)があってからじゃ遅いしな、なかなか難しいんや。
・昨日、昼食後、母が「ちょっと散歩したい」っちゅうんで、「廊下、一人でちょっと散歩するかい」と聞くと、「分かった、行ってくるね」とニコニコ笑って一人で部屋を出たんやが、5分経ったところで、全身に「嫌な予感(a bad feeling)」が駆け抜けたんや。
・慌てて、上着をつかんで、廊下に飛び出したんやが、やっぱり、誰もおらん。エレベーターの階を確認したら、「1F」になっとるやんか〈was pointing to the first floor〉。建物の外に出られて、また、転んだら、今度こそ終わりや。
・エレベーターの「1F」のボタンを「連打・連打~、れんだれんだれんだあ(なぜか、この歌が頭の中でガンガン鳴ったわ、本物の歌詞はリンダリンダやけど)〈pushed the button for the first/ ground floor over and over again〉
・1階のエレベーターを降りて、玄関ホールに出た。むっちゃ、あせりまくってたん〈この場合は feel a little panickedやな〉。
・おった、おった、母親が。そこに、自分の尊敬する「姉さん」といっしょにおった。「姉さん」は、同じ階に住んでいて、町内会の役員もしている、なかなか気風のいい〈straightforward/ open-heartedな人…easygoingはちょっとちゃうような気がするな)」人なんや。いや~、ほっとしたで。一安心や。
★姉さん、「母親がどうしてここまで来たか、どうして自分と一緒にここにいるか」なんてどうでもええ、みたいな口調で「私、これからお母さんとその辺一回り散歩してくるね〈I’m going to take a little walk around the park with your mom.〉」と言ってくれたんや。
・ワイも「じゃ、外、まだちょっと寒そうなんで母の上着だけ取ってきます」って言った。
・30分後、母親はニコニコ笑って部屋に戻ってきたわ。
★これが、自分が思う「見守り〈watch over/ keep an eye on 〉」であり、「近所付きあい〈neighborly relations〉」の一つの形なんよな、「共助」とか「共生」「共存」とか、そういう「用語」じゃあないんよ。いいんよ、「ありがたい」ときもあれば「お節介やな」って感じるときもあってええと思うんや。きっと、こういう人がいるから、「町内会」って成り立ってるんや。
★母親のことは、この先、ますます心配や…もう91歳やからな。好きなもん食って、よく寝て、何とか体動かして壽命をまっとうして欲しい、今はそれだけや。
★とにかく、なんか、ええ日、過ごせて、良かったわ。


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