日記 五十一の巻

3月 第1週金曜 「大谷選手」のHRを母とラジオで聞きながら、中学生の時、TV中継終後、自分の部屋で勉強しているふりをしてコソコソラジオでつづきを聞いていたのを思い出す

「侍ジャパン」の試合が地上波で中継されない、という大事件?が起こってもうた。参加国こそ、少ないかもしれないが、自分にとってはオリンピックにも匹敵する「野球の祭典」なんよね。

★当初、「ネット」で見られるように契約しよか、と思ったんやが、自分だけPCで野球を見て、母親に、テレビの前であまり興味のない番組を見せておくのもちょっとなと思たし、この期間のためだけに契約するのも何だか癪に触るんで、「らじれこ」と手持ちの「Wi-Fi」を使って、「ラジオ(らじれこ)」で「聴戦」することにした。「らじれこ」は、「ラジオ番組」を聴くだけでなく、「番組録音」もできるので、とても便利。

★試合は、日本が7回コールドで圧勝。大谷選手はHRを含む4打数3安打の大活躍で終わった。個人的には近藤選手の不調が気になるとこやね。

やっぱり、「タイムリー」で「試合」を感じられるのはええわ。何度か書いたけど、自分は「スポーツ」も「音楽」も「ライヴ」が一番だと思うで。緊張感や迫力、息遣いまでが伝わってくるよな。おそらく、その次が、「同時(ライヴ)中継」やろ。

考えてみると、2時間ちかくラジオの前でくつろぎながら、家族(母)と過ごすのは何十年ぶりかのことやった

「ラジオ」が、人と人が過ごす大切な時間と場所を与えてくれるもんなんやな、って改めて感じることができた。テレビが出現する以前、大正・昭和前半は「ラジオ」が「情報源」であり「娯楽」やったんよね。谷川俊太郎さんなんて、カーラジオが日本にない時代に外国でカーラジオを体験して、自分も欲しいと思ったってなんかで読んだことあるわ。当時、運転して移動しながら、「音楽」なんかを楽しむってすごい贅沢なことやったんやね。

★…子供の頃、トイレに行きたいのも我慢して「野球中継」の「TV」の画面から目を離さなかった…でもそこには、「親父」がいて、「母」がいて確かな「家族の時間」が流れていたんやな、今考えると。

★最近は「大谷選手」をはじめ、多くの日本人選手が海外で活躍し、知られている、日本に野球を学びに来る大リーガーもおるっちゅうやんか、一昔前と比べるとスゴイ時代や。日本の野球人気にも再び火がついているそうやし。

★日本てすごいよな、スポーツや芸術、ものづくりの「技術」や「表現」をただ単に「輸入」して、真似や改良しとるわけじゃないもんな。「N響」だって何十年もかけてとうとう海外に負けない「N響」の「音」を作り上げたもんな。

★余談やが、大谷選手の背番号「16」は、海を渡った野球の先駆者「野茂選手」の背番号でもあり、「巨人のV9時代の川上哲治監督」や「アニメの巨人の星の不死鳥、星飛雄馬」の番号でもある。沖縄風水では、「16」は、リーダーとして活躍する、見えない力に守られる数字でもあると言われている数字や。

★子供たちが、今日の大谷選手の活躍や投手陣の奮闘を「タイムリー」で地上波で見せられなかったのは、ホンマ、残念やで。「10点」取った後のちょっとした「油断」が出てしもたシーンも含めてな。そもそも国民が望んでいる「情報」を共有できひんシステム、何とかならんのかいな?

試合が終わった直後の「ニュース」、自分の見とったチャンネルでは、「映像」一切なしで「写真」使とったで

なんや、不安やな。「情報」も「金」次第にんってまうんかな。これって「TV」の衰退を予言しているんちゃうか。この先、若者からの「TV離れ」を加速させるやろが。

★ライブの放映権を持つネットとの契約をしていない子供たちは、この先も、今年の「侍ジャパン」の雄姿を見られない、というこっちゃ。「TV」で直前にあれだけ「直前の試合」や情報番組で連日「侍ジャパンの特集」で盛り上げておいて、本番は「中継しません」って、そりゃあ、ないわ。結構、影響、でかいで

★もう一つ言いたいことがあんのや。それはさっきもちょっと言うたけど「家族の時間」や。今や「大谷君」は「世代」を超えて日本中で知られる「時の人」や。「食事」も家族バラバラの時間で取るのが当たり前、家族の会話もより少なくなって来とる時代。「AKB」や「乃木坂」を知らない「世代」も、「貴乃花」や「巨人大鵬卵焼き」を知らない「世代」も、「村瀬心椛選手」や「平野歩夢選手」の演技には、心を動かされた人は多いよな。「大谷選手」は日本人がだれでも知っとる。少なくとも「大谷選手」の映像が「TV」で流れている時間は、家族が同じ画面を「共有する」言い方を変えれば、「大谷君、すごいね」ということから、家族の会話が少しでも生まれる可能性があると思うんや。

「大谷選手」の「HR」「投球」を見て、あるいは、他のスポーツだって、YouTubeなどで「長谷川唯選手」や「谷川萌々子選手」昔の「小野伸二選手」や「中村俊輔選手」のプレーを見て「野球」を、「サッカー」を始めようと思う、あるいは思った子供たちも少なくないはずだ。

だからこそ「切り取り」ではなく、「ライヴ」で「どのような試合の流れの中で」「どのようなプレーをしたか」を試合全体を通じて感じて欲しいと思う。

★昔のように、「目に見えないものにあこがれる」時代ではないように思うんよな。例えば、音楽だと、もはや「レコード」や「CD」だけで演奏を聴いてあこがれて勉強する時代ではない、ってことや。「スポーツ」や「音楽」では「視覚」による学習、それが与えてくれる刺激、それを自分のトレーニングに活かし実践につなげることが実はとても大切なんよ。

★何度も言うけど、ショパンの練習曲や解説を視聴しただけですぐにその演奏家のように弾けるヤツなんてめったにおらんよ。「上手い」といわれている人の中でも、1000人に1人か2人でもいたらホンマにええほうや。世界でピアノを習っている、勉強している、研究している人の集合、さらに高度な技術と表現力を持っていても、ショパンコンクールで優勝するのは、1人だけやん。

★自分は英語は「単語」中心の教え方が嫌いな理由の一つがそこにあるんよな。結局、音楽も「曲」を弾くためには「ハノン」だけでは無理なんやで(ハノンを馬鹿にしとるわけではないで。後半はごっつムズイの知っとるからな)

★英語の「単語」だけ覚えるとするよな。単語だけ覚えてもな‥「野球少年」や「ボールとお友達」レベルにはならんのは誰にでも分かるやろ。「話すため、読むため」、「英語とお友達」になるには、「単語」だけではなくそれに必要な「ルール」や「知識」を知り、ある程度、自分の言葉として「表現する」域まで「読み書き」を繰り返し訓練する必要があるんや。

★おっと、閑話休題。昔は、よく公園で「親子」で「キャッチボール」する姿を見かけた。今、「親」も「子」も時間に追われてそんな時間もないかもしれんな。「誘発される」っていうたらおかしいけど、「親とのキャッチボール」をしたことで、何となく、その後、居間で「家族」で「野球」を見る時間がでけるようになって、それを「楽しむ空間」になってったような気がするねん。

★その「求心力」になるのが、やっぱり「スター選手」「天才プレイヤー」よな。「長嶋選手」「王選手」もそうよな。思わず、画面に「映る」と、家族全員が「TV」を見てまう。

「大谷選手」は間違いなく「スター」の一人よな。「侍ジャパン」で活躍できるその姿を「TV」の「ライブ」で見られないのは、ただただ寂しいの一言や…子供たちにとっても、親にとっても、家族にとっても「大損」やで。

★自分、「北海道新幹線」に乗って「東京」に行ってみたいんよ。人の集まる場所にはええ「球場」や「ホール」があって、「本物」が集うことが多いから。そこで、「野球」や「サッカー」や「好きな演奏家やアーティストのライブ」見たいねん。けど、札幌延伸するころまで、歩いていられるやろか…ってちょっぴり心配なんや。「病気」はある意味「残酷」やねん。

どんな理由があれ、その時、そこに行けない人にとっては、「ライブ映像」は見たいものの一つにちがいないねん。で、多くの「国民」がみたい、と思うものは「TV」でやって欲しいな。それが「TV」やんか。目に焼き付けときたいやんか。

★「核家族化」が進んで、「ダイバーシティ」が流行って、「自分の親の世話」を「介護施設」に任せるのが当たり前の時代を迎えて、みんな、昔より「自分の親」のこと、どんな人やったのか、何も知らんまま「お別れ」してくよな。

自分、東京から戻ってきてから、母親に色々聞いてん。母親も知っとること、一生懸命思い出して話してくれてん。でも、それって自分が知りたいこととなんかちゃうねんな。親父は高校のときに死んでもうたしな。親父本人とは、今更、直接話もできん。

★だから、自分は、「親父」と「おふくろ」といっしょに居間で過ごした「TV」の時間、大切にしたいなと思うんたんよ。「阪神ファン」の親父と当時「巨人戦」しか放映しないTV、「プロレス」が始まるたびに顔を背けた母の表情、「8時だよ、全員集合」が始まるたびに不機嫌になる親父。親が寝静まった夜中、「深夜番組」をイヤホンをして見てたら、親にこっぴどく叱られた思い出、テレビに夢中になって親が居間に入ってきたのも分からへんかった…。

★明日も、明後日も「ラジオ」の前で待っとるで。勝ってな、『侍ジャパン』。