日記 六十八の巻

5月 第3週土曜 多様性を『認める』ことが『平等』にすべて近づくことなんだと勘違いしてしまうと、大変なことになりそうで怖いよね…。ちょっと、さっき、神さんに聞いてみた‥‥「多様性」を無条件に認めたり、「多様性」を基準にして、ものごとを判断するの、むずかしないですか…本当のとこ、どうなんでっか…

★そもそも、人間は、「似て非なる」存在の集合やろ。「キミ」と「僕」とは「同じ人間」だけど、それぞれ「個性」を持った別の「個体」やよね、って。

・だとすれば、それぞれ「長所」や「欠点」、考え方が違うわけなんで、「平等」ってことも、当然「形式的な平等」が当たり前ってことになるよな(ある意味日本国憲法は正しい)。「数学」が得意な人もいるし、苦手な人もいる、語学が得意な人もいるし、苦手な人もいる、スピーチが得意な人もいれば、苦手な人もいる、「恋愛」が得意な人もいれば、苦手な人もおる、生まれつきイケメンややつもおればイケてないやつもある、人によっていろんな「好ききらい」もあるし「許せること」「許せないこと」の違いもある…。

★ま、さまざまな「国」で生まれ、今まで、生きてきた「環境」で育ち、それぞれ「異なった性格」や「身体の特徴」「行動や所作の違い」「障害の有無」「それまでの経験」や「影響を受けた思想」などを持った人が存在する、「その状態」が『多様性』よな。

★よく「多様性でしょ」って「多様性の時代だから(認めるのが当たり前でしょ)」って意味で使取る人いるけど、「多様性がある」ことと「多様性を認める」ことは別のことやからな。

★同じ国の中であっても、もちろん「多様性」がある。最近、日本では「夫婦別姓」や「女系の宮家」の話題が世間をにぎわせているが、『多様性』を含む「トピック」は「平等」という言葉を引き合いにしやすいようで、別の問題に発展しやすい。

★そして、「平等(こっちの意見も正しいでしょ、こちらの意見にも筋があるでしょ)」ということになってしまうと、解決に「法律」の問題が浮上してくるんよね。

★お子様が読んでいるかもしれんので、書きにくいんやが、YouTubeの「男女の問題」の番組で、よく「好きになってしまったんやから浮気してもしょうがない(これは中学生、高校生からもよく聞く言葉)」とか、「私の方が付き合いが長いし、あなたの旦那のことを知っている」「何か、やっぱり金か。金が欲しいから、話し合いの場なんて設けたのか」とか「時間が返せないんだから、精神的な苦痛も含めて、慰謝料で払ってもらうしかないでしょ」とか「子供の将来の容姿のためには彼の子供が欲しかったけど、育てるためには今の旦那の経済力が欲しかった」なんて言葉を耳にする。そして、「相手を裏切っている」8割位の人たちが「こんなに大ごとにしなくても」と言う。「浮気」をしているほうは「これぐらいのことで」と思っていても、された方にとっては、「とんでもないおおごと」になってしまっているケースが多い。

★繰り返す。「例」が悪かったかもしれないし、それは「ゴメン」やけど…筋が通っていようといまいと、それぞれの言い分がある、ここまでは、「多様性」とも言えなくはない。そして、お互いの「正当性」や「妥当性」という点を主張する。

★でも、このままじゃあ、何も解決しないまま、「泥試合」になりかねん。この状態を解決できるのは、何やと思う?

・そう、この場合、『法律』しかないよな。だから、『法律』があると言うてもええ場面や。

★でも法律で解決できひんこともあるんよな。

・例えば、今、世界でいくつかの戦争が起こっているよな。「国際公法」「国際私法」があるし「国連」という組織もあるけど、なかなか機能せんよな。

・昔から、いくつかの国(人)が世界情勢の主導権を握ることが可能になっているとも言われていて、なかなか戦争が終わらんのよ。その人たちの思惑、各国の思惑は、それぞれあるとすれば、それらは「多様性」よな。そこで、何度も国同士で「交渉」と言う形になるけど、ここでも、また、「両国」や「間に入ってる国」の「力関係」が関係してくるわけよな。国同士の力も「平等」ではないんよ。当然、国の代表同士が「フェイス to フェイス」で行う「会談」も「平等」とはいかんことあるはずや。

★「その国に住んでいるのだから自分にはこの国の人とすべて同じ権利があるはず」「電車で女性優先車両があるのは、男性に対する逆差別である」「男は子供の出産前後に休暇を取りたくても今ある役職や信頼を失うことが怖くて取れない」「憲法9条っていうけど、日本に海外の軍隊が来たら、いったいだれが国民を守るのか」…

★自分たちが何者であるのか、どうして争うのか、別の考えを持って生きるのか、それは、まさに深い思想の海にもぐっていく「哲学」の世界への没入とも言えるよな。逆に、計算や証明で、白黒はっきりさせる(答えを出す)のは「数学」の世界。

★自分、この哲学の「思想」の部分と「数学」的表現が重なっているのが「音楽」やと思っとるんや。だから、ヨーロッパでは、「音楽」という科目は重視されるんちゃうかなって。

★話もどすで。何となくではあるが、そういう意味では、「法律」というのは、「100%」ではないけど(当然、人間が作ったものなんで)、「言葉」で「条文」を解釈し、「言葉」を使って「結論(紛争を解決する)」を出す、という意味では「ことば」の「数学」みたいなもんのようにワイは感じることがある(同じものとは言ってないで、数学と法律は別物やけど、ちゅう前提でや)。

★もちろん、「法律」では解決できない全く別の『多様性』も存在する。例えば、『文化的な背景』や。

・「スパゲッティ」を食うときに「じゅるじゅる」音を立ててはいけない、逆に「ラーメン」や「そば」をすするときは、日本では、音を立てるのが普通だ、とか。どちらも、「不快」になる人が出る恐れがある事例よな。

★現代は「SNS」の時代やし、ちょっとしたことでも、「世界」に広まってしまう。自分の「多様性(この場合は意見やけど)」を主張する範囲を逸脱してしまうと、これはこれで、大変なことになるよな。

★『多様性を認める』って、自分たちの方が余裕があり、相手を「ええよ、ええよ」って認める方向で進めているうちは問題は起きない(移民問題などが例)けど、その「権利」が自分や自国民を「制限」する、「不利」を与える、「我慢」を強いられる、という状況になった場合、けっこう大きな問題になってしまうんやないかな。

★もともと「自分」という円があり、「他人」という円があったとき、その、その重なる部分(集合で言うときの ”かつ” A∩B の部分:AとBの共通部分)ある方が少ないんちゃうかな。

・お互いに出会わない人もいるし(直接でも画面を通してでもええけど)。

・100%、2つの円が重なれば、それは「あなたは私」「私はあなた」で『そうとうキモイ』状態やんな。

・人間て、分かりあう部分もあれば、分かり合えない部分もある、だから「人間」なんやないんかな?…だとすれば「多様性」と「平等」ちゅう言葉、けっこう『相性悪い』ような気ぃするんやけど…。

★For these reasons(この場合の意味は、『そんなこんなで』や), ワイ、この「多様性」って言葉、嫌いやねん。

★そもそも、