きれいなノートは、すべての生徒にとって「正義」ではない①
★「後から分かるように」「白板は丁寧に写すように」…「きれいなノートを取る子は成績が良い」とよく言うが、すべての生徒にとって「きれいなノート」が役立つわけではない
◇◇◇ 計算するとき、一つの計算に5行以上ノートを使う生徒は、一般的に計算が遅く、入試科目の中では「数学」が苦手なことが多いのをご存じだろうか。英語や国語が苦手な生徒の中には「読むことや書くこと自体が苦手な場合」、「板書を写すのに時間がかかり」、途中の板書が飛んだり(講師や先生が板書を時間で消してしまう場合もある)、写すのが間に合わず、授業後、友人からノートを借りて「色付け」をしながら時間をかけてきれいなノートを作っている場合もある。
「入試」や「試験」で必要なのは、「正確で素早い効率的な計算」や「正解にたどりつく情報処理能力や思考力」「問題文や文章に書いてあることを把握する力」だ
本人にとって「ノート命」で(真剣に勉強しているつもり)あっても、「点数」につながらなければ「成績アップ」や「合格」につながらないのが実情だ。「ノートの内容」を頭に「インプット」し問題演習で「アウトプット」する。そして、「間違えた問題」を分析し、自分の「弱点」をなくすために、その問題を「ノーヒント」でできるまで仕上げることが必要だ。
塾に通っていても、ここまできちんと「定期テスト」や「入試」前に準備する生徒はごくわずかだ。
「ノートを見せて」とテスト前に友人に頼みこむ生徒の中には、「見やすく整理したノート」を貸した子よりも点数が高いこともある。
さらに、中には、「英語」「国語」で、定期テスト前に、1回教科書の本文をガチャガチャ要らない紙に殴り書きして写したり、
数学で、章末問題やワークの解き方を「解説・解答」や「借りたノート」を、テスト前に見たりするだけだけで「高得点」を取る生徒が実在する。
「やってもできない」とあきらめてしまえばそれまでだ。中2まで数学の定期テスト「40点」前後でも、ちょっと「分かった!」だけで「5」まで内申が伸びることもある。大切なのは、「基本」をどのようにマスターし定着させるかだ
「なぜ、アイツは勉強しないのにあんなにできるんだ」と感じるのであれば、「自分をなるべくそのレベルに近づける」ことを考えるべきなのは言うまでもない。ピアノだってただ「アイツうますぎるの不公平だろ」と言っているだけでは、何か月経っても自分のレベルが上がらず、満足のいく演奏なんていつまでたってもできるわけがない。
そして…毎日、コツコツやっていると…勉強というのは、ある日、突然「不思議な感覚」を味わえることがある。
◇◇◇中2まで、「数学」が苦手でなんぼ頑張っても「3」しか取れなかった僕は、中3の一学期、突然内申が「5」に上がった。それは、まさに、たった一つのこと、「( )の前のマイナスは-1と考えて、カッコの中にかけてはずす」を「生まれて初めて通った塾」の先生が教えてくれたことから始まった。
中1では、「正負の数」「文字式」「一次関数」まで進むと、「代入」や「等式の変形」なども学習項目に入ってくる。この際、「マイナスの数は( )にくるんで代入」「( )の前のマイナスは、マイナスを( )の中にかけて外す」ということを意識して問題に取り組まないと途中で計算ミスをすることが多い、と分かったのだ。
実は、「ー2(a+b)=」はできても、「ー2(aーb)=」、「-(-2)=」や「-(b-3)=」ができない生徒は多い。
最初の問題、「-2(a+b)」ですら、中1の時に全部の過程ををきれいにノートしようとすると、2行目ですでに大パニックだ。「-2×a+(-2)×b」と書いた、あるいは「-2×a+b×(-2)」とノートに書いた瞬間、手が止まる。まさに、「数学嫌い」誕生の瞬間である。
特に「文系」と呼ばれる「理屈っぱい」生徒にとってみると「えっ、何で次の式で-2が( )の中に入ってる?」「真ん中にある+はどこから来た?」となってしまう人もいるはずだ。周りを見てもだれも先生に文句をいわない。まさに、「勝手に四面楚歌」状態に陥る。
「そろばん」の世界には、「フラッシュ暗算」という分野があるのをご存じだろうか。さすがに「7桁、8桁」の計算を正確にする人は才能があると思われるが、「3桁程度」の暗算は結構多くの生徒が楽しんでいるように見える。当然、ノートに計算の結果を書いていてはあんなに速い計算はできない。
「計算系」の問題処理では、いかに「暗算」できるか、行数を減らし、情報をまとめるかがカギになる。「解き方」自体がわかるようにノートを取った後は、「問題演習」で自分がひっかかる部分以外は「正確に暗算」できるよう訓練すべきだ。その時に自分なりの「計算の仕方の工夫」を手に入れよう。
先ほどの問題、「-2(a+b)=」は「-2」を「a」と「+b」にかけて暗算して外せばいい。「ー2×a」の結果と「-2×b」の結果を「合わせる」。すなわち「-2a-2b」。
次に、小学校で習う範囲の計算を見てみよう。「15×15」。僕は、普通の「筆算」でも「インド式」でも「19×19」までの「答え」を九九のように暗記していて答えを出しても構わないと思う。ただし、「検算」をするために2種類の計算方法をマスターしておくと便利だし安心できる。
この計算、例えば「15円のものを15個買う」と考えると、「15円のものが10個で150円」、「残りが15円が5個(15×5)で75円」、合わせて「150+75」なので「225円」とも考えられる。授業中、計算を嫌がる生徒に「買い物で考えて」と言うと、結構正確な答えを返す生徒が多かった。お釣りを早く出す計算もいろいろな方法がある。ぜひ「買い物」の計算が得意な生徒は自分なりの方法を発見し、計算に活かしてみて欲しい。
さて、この問題、さきほども書いたが、僕は計算の仕方にこだわる必要はないと思う。「筆算」が速ければ「筆算」でよい。「インド式計算法」が自分に合っていて、「筆算」よりも速ければインド式で、「19×19」までの計算を九九のように暗記しているのであればそれはそれでよい。
もう一つ、とても、重要なことを伝えておきたい。それは「小学校で習った九九は変わらない」ということだ。つまり、「15×15=」だろうが、「-15×15=」だろうが、「-15×(-15)=」だろうが、答えは「225」か「-225」のどちらかであり、「30」や「+30」、「-30」になったりはしない、ということだ。
よく「-3×(-3)=」の答えを「-6」とか「+6」とか答える生徒がいるが、ありえない。小学生の時に習った「掛け算」の延長線上に「正負の数」の計算がある。3の前に『-』がついていようがついてなかろうが『3×3』が『6』になることはない。
数年前、板橋区の自分の教室で教えていた(現在は教室は閉鎖中、母の介護と持病の治療のため一時的に地元で生活をしている)とき、ある中学校で、「合同の証明問題」を板書通りに書かないと「定期試験」で「×」になる、ということが何年か続いた。
授業では、「2つの辺とその間の角がそれぞれ等しい」から、「辺が2つ等しい」ことを書いてから、「間の角が等しい」ことを書くという。であれば、あらかじめ、生徒にそういう書き方にこだわっていることを生徒たちが慣れるまで何度も周知すべきだ。確かにわかる人や好きな人にとって「数学はある意味美しい」。
しかし、「試験」で時間に追われ、内容的には証明ができている解答を「板書通りの手順や言葉ではない」と強制的に「×」にするのは…今でもどうかと思う。
当時は、「自分の塾の生徒」が「中学校の教師」とわざわざもめるようなことがないよう、先生の板書を参考にワークの答えもすべてその方式に書き換えて準備させる必要があった。まさかとは思うが、教師側が「生徒がワーク提出の際、答えを写したことがすぐに分かるように」などと姑息な「技」を伝っていた、なんてことは…ないと信じたい。
「教科書」や「参考書」によっても形式や言葉の表現が違うこともある。「合同条件」の前に、まず「どうしたら『一つの三角形に決まるか』というところ」が大切だ。「一辺の長さがわかっているとき」「二辺の長さが分かっているとき」「三辺の長さが分かっているとき」、それぞれどんな条件が加われば一つの三角形に決定するか。「三辺の長さが違う場合、三角形にならない場合」もある。丸暗記ではなく、「イメージできる」ように教えることが将来の生徒の数学の実力アップのカギだと僕は信じている。
「入試」で求められているのは、「正確に」「速く」。そのための「ノート」や「メモ」が残せれば、それが武器になる。
僕が中学の時、「5」を取った一学期の定期試験Ⅰの範囲には、「二次関数」も入っていた。「代入のルール」の大切さ、「マイナスの数への理解」を学んだことにより、「計算ミス」がメッチャ少なくなり、その先の「図」や「グラフ」で考えることもできるようになった。まさに、自分にとっては「飛躍的に数学が分かるようになった瞬間」が確かに存在した。
「答えを暗記するノートづくり」「後で見てきれいだな」と思うノートも悪くない、と思うが、やはり勉強は「できて」こそ楽しいものだと思う。どうせノートを取るのであれば、「点数につながる」自分だけの「できるノート作り」に各教科チャレンジしてみてはいかがだろうか。
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