日記 十五の巻
11月第5週 土曜日 「スケール(音階)」でこんなに歌える?
とうとう左足が太ももからふくらはぎまで湿布でうまる。
大分前に、「クラシックTV」と言う番組で、女性の若いピアニストが出演しとった。何気なくつけた、その画面の中で、彼女は、小学生、中学生が弾く練習曲を見事に演奏していた。もちろん、練習曲以外も上手かったのは言うまでもない。
「モーツアルトを引きたい」「ベートーベンを曲を弾きたい」「フォーレを、ショパンを、リストを弾きたい」と言う人は多い。
彼女のように、「練習曲」を「曲」として「仕上げ」、「曲」として楽しんで弾く。それができれば、好きな曲や課題曲を弾くときにも練習した曲は「単なる練習曲」ではなく「あらゆる曲を弾く」ということにつながっていくんちゃうやろか。
「基本の上に才能がのる」ま、「才能の上に基本がのる」でもいいんやが…ちゅうのはこういうことなんかな、と思う。
結局「勉強」も「基本」が「自由」に使いこなせんと「応用」が効かん、苦労する。
小中学生を持つ親御さんとしては、「才能の上に基本がのる」ちゅう表現はちょっと待って、ってなるわな。「勉強は才能だ」ってなってまうもんな。でも、「数学が得意」「文章を書く力」とか…結構「遺伝」ってデカいんよな…。ピアノだって「リスト」「ラベル」ってなってくると、「手」でかくないと無理やし…。さまざまな「無理」が「悩み」になってくるんは、芸術だけでのうて、スポーツでも、勉強でも、恋愛でもあることやないやろか。
ホンマ、人間、大きくなるにつれて、「自分の人生の限界」を感じること多いよな。さみしいよな。
「ツェルニー30番」「ツェルニー40番」だって、指定の「tempo」で10曲を連続ノーミスで暗譜で弾いたり、音に「色」をつけたり「表情」をつけたりして弾くのは、けっこうしんどいで。練習曲はそもそも「in tempo」で「正確に」「乱れず音のツブをそろえて」弾くのがが基本やからな。普通は、その中で「演奏用の曲」としての「プラスアルファ」表現を加えるんは、相当ムズいで。
だいぶ前の出演やったんで、数時間、ネットで探しても画面に「練習曲を弾く姿」は出てこうへんかった。
ま、自分が普通に歩けるようになって、生きとれば、また、彼女の音に再開することもあるやろ。
コメをといで、飯の準備をするか。


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