塾講師覚書① 塾の先生:「分かったか~」 生徒:「は~い」で終わる授業は要注意だ!
「分かったか~」は、確かに確認の言葉だ。でも、何が分かったのか、どこまで分かっているのか…授業ゼンブを分かっている生徒なんてほとんどいない。
授業見学の際、ほとんど保護者のみなさんは、「解説」や「先生のしゃべり」「生徒への声掛け」「白板のキレイさ」「自分の子供よりもデキる生徒」などに目が行ってしまうようだ。
特に、自分が苦手な教科などは、塾講師の「しゃべり」とご自分の「フィーリング」で「分かりやすいかどうか」を判断してしまう。「そんなのウソだ」と思う方もいるだろうが、実際に、見学中に「授業に参加してください」と言うと、教室から退散してしまう保護者がなんと多いことか。分かりやすいと思うのであれば、ぜひ、参加して真偽のほどを確かめていただきたい。
「いい授業」と表現される授業は何種類かある。それは、見る人によっても感じ方が違う。その中の代表的なもの一つが、「引き込まれる、思わず身を乗り出して聞いてしまう」授業だろう。サッカーの試合であれ、ドラムの演奏であれ、歌であれ、だれしも経験したことのある「アレ」だ。
自分が、「数学」が苦手であっても、その「分かりやすさ」に圧倒される…得意、苦手にかかわらず、「ふむふむ」「そう、そうだったんだ」とのめりこんでいく授業。「ネタ」だけが面白いわけでもなく、「しゃべり」だけがうまいわけでもなく、いつの間にか、あっという間に終わりの時間が来てしまう、そんな授業だ。
自分がかつて副教室長を務めていた塾では、その日「体験授業」を受ける生徒の「面談」の情報が書かれた紙が机に置かれていた。
当然、その紙には、生徒の「通学している学校」「志望校」や「成績」以外に、「得教教科」や「苦手教科」「部活に活動曜日や時間帯、大会の結果」、面談した先生によっては、「兄弟の有無や受験情報」「塾で仲のいい友人(紹介してくれた友人を含む)」「学校で嫌いな先生」「仲の悪い友人」「定期テストに強いタイプか学力テストに強いタイプか」、面談した先生の「生徒や親」に対する所感が備考欄に書かれていた。
自分は、「面談」や「授業見学」がある際、入り口での「靴の揃え方」と面談時の「お子さんへの注意の仕方、叱り方」もよく見ていた。
「授業見学」の時に、注意して見て欲しいことがある。「授業がうまい」先生はいっぱいる、驚くような「できる生徒」ももちろん教室にいる。だからといって、その先生の授業を受ければ自分のお子さんが必ず「デキル子」になるわけではない。
授業見学で、だまされてはいけない。「見学者」のいる授業では、その塾の看板を背負う先生の授業の見学を勧められる場合も多い。いわゆる「魅せる授業」ができる実力派の先生だ。
それでも、そんな先生でも、「満点」の授業をするのは難しい。それはテストで「100点」を取るのと同じ位難しい。
「大学共通一次学力試験(1979.1月~)」「大学入試センター試験(1990.1月~)」は、現在「共通テスト(2021.1月~)」と名を変えるが、長い歴史の中で「5教科7科目 900点満点」が出たのは、2018年の1月(自分の記憶の中では1回のみ)のことだ。
「テストなんだから100点取らせないように作るのは当たり前だろ」と言う人がいるかもしれない…学校の先生だって、塾の先生だってたとえ中学校・高校の頃、得意教科であっても、範囲が絞られている定期試験でさえ通年で「100点」を取るのは、相当の努力と実力、運があってのことだと言うことが分かる。
つまり、中学校~大学までの現役時代は、得意教科であっても習った内容は「完璧」な状態などとはいえないのだ。
何が言いたいか、というと、塾で教えようが、学校で教えようが、「大学の4年間」でその教科を極めることは、ほぼ0%に近い、ということだ。さらに言えば、教科自体極めた天才級の先生がいたとしても、その先生が「教える技術」を併せ持っている確率は極めて低いということ。
そんな状況のもと、保護者の皆さんは「塾選び」をしている。
僕は、苦手な教科(主に理系教科)を自分で見なければならなくなった場合、生徒に2つのことを聞く。
①できる限り点数を出せるよう心掛けるが、解けない問題がある場合がある。それでもよいか。
②実は苦手な教科だが、本当に、自分に教えて欲しいのか。
結局、「先生に物理も数学も見て欲しい」という形で押し切られ、最後は苦手な漢文を含め、生物、化学と教える科目がどんどん増えてしまった(中学時代、5教科教えてきた生徒にとっては、当たり前に高校でも、どの教科も教えられると思っていたようだ)。が、実際は、ほぼ睡眠時間を取られる結果となった。点数を出す、合格させるために「膨大な勉強時間」を強いられた(教育系某ユーチューバーとは違い、僕は勉強が大嫌いなのだった)。最終的に「大学入試」の内容も教えられるようになったのだから、自分のために役に立ったとも言えるだろう。これが本当の「情けは人のためならず」なのかもしれない…というのは冗談だ。
「中学」「高校」の問題だから、それぐらいは教えられるでしょ、などと気軽に言わないでほしい。そういうのであれば、お子さんの、定期試験を時間をはかって実際に簡単かどうか、ご自分で解いてみていただきたい。
自分の中では「授業」は「生徒」と完成させるものだ。「生徒が先生じゃダメだ」というなら、他塾に行ってもらった方がいい。
生徒を「ノセられる」「知識を押し込み、手を動かして解かせることができる」「授業にからめられるネタも用意できる」「時間内に範囲をすべて終了できる」技術を持っている先生や講師でも、「生徒と一体化」できないと授業は成功しない。教室を離れた今だから分かる。自分は本当に生徒に恵まれたと言える。心から生徒に感謝したい。
授業の良し悪しは、「お帰りテスト」や「小テスト」の結果や「宿題提出の有無」で顕著に現れる。うまく行っていたはずなのに「一発で帰れない」生徒がいる(当然100%の授業というなら全員「一発合格」だ)。予告したはずの「小テスト」で点数が出ない…その場だけのノリのよい授業になってしまっていた。「宿題」をやってこない…やってこない生徒が多い場合、講師としての姿勢が問われる事態に追い込まれる。これは実際に落ち込む。生徒に迎合しがち、生徒を注意できない講師だと言われる場合が多い。
子供の将来を考えれば考えるほど、「授業見学」はとても大切なことだ。塾に通わせる、ということは、少なからず他人に子供を預けることに他ならない。「今授業している先生に毎回見てもらえるのですか」「宿題は毎回出ますか、いつもこの程度ですか」…授業を実際に観てその場でぜひ講師に聞いてみて欲しい。そして…授業の終わり方を、ぜひ確認して欲しい。
講師A:「今日の授業はこれでおしまい。分かったか~」
生徒たち:「は~い」
講師A「今日の宿題は〇●だぞー」
生徒たち:「は~い」
講師A:「ありがとうございました」
生徒たち「ありがとうございました~」
普通の授業風景の終わりに見えるが…自分はこの教室風景を見ると、「ああ、この先生のクラスでは自分の子供は伸びないな」「授業は良かったけれども、このクラス生徒、このままじゃ伸びネエな」と思ってしまう。
自分が見て来た先輩たち、特に「エース級」の講師たちはこのような授業の終わり方をしない。一例をあげると、今日やったことを生徒を指して確認する。「お帰りテスト」をするのはその後だ。
当然、宿題は、講師自ら板書した後、「宿題帳」または、「ノート」に書かせる。「基本中」の「基本」である。タブレットの時代になっても生徒に「確認」すること自体はおそらく変わらないだろう。
「頑張って勉強します」という決意だけでは、第一志望校には受からないし、「うまい授業」をする先生の授業を受けるだけでは合格は引き寄せられない。
どこかで書いた記憶があるのだが…塾選びは「家を買う」ぐらい真剣に回ってさがした方がいい。費用のこともさることながら、選んだ塾でお子さんが伸び悩むことが多いからだ…。
保護者の方々には、ぜひ「恥ずかしがらずに授業見学」をし、講師の授業終了時をよく観察して欲しい。
講師:「今日は何の勉強をしたかな、A君に聞いてみよう」
A君:「不定詞」
講師:「そうだね、不定詞の中でも『~すること』、っていうタイプを練習したよね。じゃあ『英語を勉強すること』を英語で」
Bさん:「覚えてません」
講師:「さっきやったよ。思い出して。じゃあ、勉強するは?」
Bさん:「studyです」
講師:「英語を勉強するは?」
Bさん:「study English」
講師:「OK。不定詞の形は」
Bさん:「to+動詞の原形」
講師:「studyは動詞の原形だよ」
Bさん:「そっか、to study English。これで『英語を勉強すること』だ」
講師:「できた~。次、毎朝公園を走ることは?C君。まず、『私は毎朝公園を走る』って作れる?」
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一人、二人解答しだすと、クラスのエンジンがかかる。カバンに入れようとしていた「授業プリント」を何人かの生徒が見直しだす。こうなるとクラス全体が盛り上がってくる。
いまさらと言われるかも知れないが、「確認」は大事だ。自分が授業をしたことが伝わっているかどうか、生徒がその知識や基本事項を使って問題演習ができるかどうか…。具体的な「確認」を怠れば、生徒の成績だけではなく。自分の評価にも関わってくることを「1年目の塾講師」は特に知っておいてほしい。「俺のやり方が速い」「この公式を使えば速い」と、何も考えずに押しつけるのは独りよがりというものだ。別解と言うのならまだしも…。特に苦手な生徒はまず、スタンダードな解き方をマスターするべきだ。
集団授業の場合、前の先生の授業が「20分押し」なんてこともある。授業時間が足りない状況だ。それでも最低限、教えたい内容はある。そんな時、僕は生徒に、「『さよなら』の代わりに、今日は君らにこういうからな。当たるまで帰れないよ」「まずは2つ。have/hasの後ろを答えてね」「例えば、『いったことがある・いってきたところだ』といったら「been to」だよ」「『行っちまったぜ』といったら『gone to』だよ」「あと、『すでにしたした』って聞いたら『already』」「『まだしてねよ』っていったら、『not…yet』だよ」。と言ってから教室を出る。今日はこの4つが「お帰り問題」。
下駄箱の前には、当時、タイムカードが置いてあった。帰りのタイムカードを押しにくる生徒をつかまえては、「行ったことがある」「been to」、「行っちまったぜ」「gone to」…他の教科の先生が驚いたような顔でこちらを見る。正答した生徒たちは、いかにも当たり前のようにタイムカードを押して帰っていく。間違えた生徒は、また、最後尾に並ぶ。この方法を使うときは、質問は多くても6つぐらい。英語が苦手な生徒も、二周目には笑顔でちゃんと答えて帰っていく。
ぜひ、「授業見学」で確認して欲しい。塾の講師が使う「押し込む」と言う言葉は決して「無理やり」覚えさせたり、解かせたりすることだけを指すのではないことを。
「ネタ」で困っている若手の英語講師にぜひ知って欲しい。「ネタ」を長時間考えるくらいなら「文法の説明」や「例文」の中でネタを盛り込むことを勧める。これは、英語という教科ならではの特権的アドバンテージだ。例えば、現在完了では、「フランス人の女のコと3回デートしたんだよ」、なんてのも例文としては、人気だった。そして、生徒とは「単語や漢字の確認play」で「知的な遊び」も可能だということも…。教室の持ち時間だけがすべてじゃない。答えを書いたテキストを見て教えているだけではつまらないよね。
「授業の〆」は説教でもなく、「先生のいい話」でもなく、「確認play」が実際、生徒も講師同時参加で楽しいと思う。それも、生徒が「思い出した」ではなく、「おう、オレ、できちゃったよ」というような「確認play」、あるいは、クラスのほとんど全員が覚えられるクイズ形式の「確認play」が。
「先生さよなら」「はい、さよなら」の代わりに「まだしてねえよ」「not…yet」なんて、講師にとっても、まさに魔法時間の到来だ。今日だけの「さよなら」の代わりの「暗号」、チョーシャレオツだ(ただし、オツムの固い塾長や教室長によっては叱られる恐れがあるので注意されたし)。
誤解のないように書いておく。自分の授業プリントには「( / )+( )( )場所」と現在完了の場合、必ず「have/has」を常に自分の手で書くようになっている。ここでは「(have/has)+(been)(to)場所」と埋める形だ。
覚え方は色々、教え方も様々だ。自分の場合は、「終わってしまったこと・経験してしまったこと・始めてしまって今も続けていること(過去分詞以下)」を「今も持っている(have/has)」という説明が「現在完了」の定番だ。いわゆる「述語動詞の部分」が長くなると、「三単現」などの感覚がつかめない生徒が多くなる。中1の時から僕は、現在形は「基本的に2つ(be動詞の場合は3つーis/am/are)」あると教えている。「study」が原形なら、「study/studies」が現在形というわけだ。
話を授業のことに戻す。時間がなければ、時間がないなりの工夫をするのが真の講師だ。そのためにも予習(授業の組み立てを含む)は必要だ。他の講師の批判や文句なんていつでも言える。ときには、生徒次第で「20分」で「50分」分の授業ができる場合もある。大切なのは、今、目の前の生徒の偏差値や点数を上げるために自分が何ができるかを実行すること。
また、話が長くなった。昔「エキテン」でこのような文章を載せていたころは、「字数制限」や「使用文字の制限」があり、まとめなければならなかったので、かなり内容を絞って書いていた。その頃の文章が読みやすかったと言う方には、大変申し訳ない。
とにかく、「授業」の〆を、講師がどのようにしているかだけでも、その塾の質が見えてくる、保護者の方には「授業見学」をしてぜひ確認して欲しい。
では、今回はこの辺で。
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