日記② 英作文「田舎」に住むのがいい、それとも「都会」がいい?そんなに簡単に決められる?

2024年10月9日

  亜熱帯になりつつある、地震、津波、豪雨が襲う日本、訪日外国人への「被災喚起」も必要な今、この作文は意外と難しい!

 「大学入試」や「高校入試」で「住むのなら、都会がいいですか、田舎がいいですか」という英作文の問題が出題された時期があり、一度は学校で書かされたことのある中学生、高校生もいると思う。もちろん、英単語やフレーズ、英文単位の準備があればそれなりのものは出来上がる(「授業でブログ」ではないので、単語や模範解答は割愛させていただきます)。

「以前は都会に住んでいたが、中学生の時に北海道に転校して、カルチャーショックを受けた(世界観が変わった)」

「私は食べることが好きだ。特に北海道の食材が大好きだ。農業に興味があり、将来、北海道に移住し、農業をしてみたい」

「都会は便利だ。例えば、24時間営業のコンビニがある。車がなくても電車や地下鉄でどこへでも行ける。私は住むなら、都会がいい」

…これぐらいなら、「転校する」「世界観が変わる・ショックをうける」「食材」「移住する」「農業」「便利な」「24時間営業」「~なしで(ここはif節でも書けるね)」「都会」「田舎」などの単語やその使い方を(辞書じゃなくてもネットで)調べれば何とかなりそうだ。まあ、できれば塾の先生や学校の先生には、単語を聞くのではなく、自分で書いたものを添削してもらってほしい。その方が「先生ウケ」もいい。

…「私は今までに数回沖縄に行ったことがある。果てしなく広がる青い空と透き通るマリンブルーの海。沖縄は、田舎ではないが、首都、東京からは遠く離れている。私は、ある程度、にぎやかな、都会から離れた自然のある場所に将来住みたい」

…「私は温かい地方の街がよい。寒いのは大嫌いだ。北海道に住んでいるのだが、暖房費がべらぼうだ。せめて震えずに歩いて買い物に行ける、「田舎」すぎない場所がよい」

…と英語で書くと「不合格」なのだろうか。この答案を本番「英語」で書くと「大減点」の恐れがある。「減点」の理由は後述する。

 そもそも「都会」と「田舎」の違いとは何なのか。様々な意見があると思うが…「都会」と言われる場所でも、市街地に「熊」が出没することもある。「東京」などに住んでいると、とんでもない時に「自然の驚異」を感じるときもある…「雪」によってこんなに簡単に都市機能がマヒしてしまうのか、たった数センチの雪なのに、と。

 「田舎」と呼ばれる場所の中には、「自然」が持つ「良いイメージ」とは裏腹に、「自然」に近づけば近づくほど、「災害」時に身動きが取れない地域がある。山間部や海岸沿いで、地震や豪雨、津波の影響を受ける集落が「TV」の画面に映されるたびに…「道路」が寸断され、「津波」が家を流し、「土砂災害」のために「JR」が「一次的に不通」になり「交通手段」が途絶える。「停電」「水道」の復旧に時間がかかり、日常が遠く感じる日々を過ごさなければならない。それが今の日本の現実なのではないだろうか。

 場合によってはそのまま「路線」が分断、消滅の危機になってしまう(北海道「根室本線」の例など)。「停電」が続き、「避難生活」を長く強いられる。そういう場所も英作文のイメージである、自然豊かな「田舎」に含まれるのではないか、と私は考える。

 もちろん、「大都会」だって地震や津波に強いとは言えない。しかし、「復興」と言う点において、「元の生活」に戻れることができる人々の数が、「田舎」で「被災」した人よりは「多い」のではないか。

 本当に、「日本国民」は「被災者」が満足しないまでも、政府や地方自治体の下、元の生活に戻れるような援助をしてもらえるという点で、「被災した」場所によって「格差」や「差別」がないのだろうか。

 関東大震災後、次の年1月に復興計画が決定され、東京市は昭和5年(1930年)3月、横浜市は昭和4年(1929年)に復興事業はほぼ完成した。

 1923年9月11日に関東大震災が発生したことを考えると、その4か月後には、復興計画がなされ、6年後に現在の首都東京が、5年後に横浜市が復興されたことになる。「復興」といっても、もちろん、全住民が元通りの生活を迎えたわけではないのはご承知の通りではあるが…。

 どうやら、「大都市周辺」で「大地震」が起こった場合、津波などの「二次災害」がひどくなければ、復興までは、5年が一つの目安のようだ。

 1995年、1月17日、最大震度7の神戸・淡路大震災が近畿圏を襲った。この地震が震度7が適用された初めての地震である。この時は、1月17日、地震発生当日に神戸市災害対策本部が設置され、1月23日には電気の応急復興が完了、31日に電話の応急復旧、2月には地下鉄が応急復旧、2月24日には、学校で授業再開までこぎつけている。もちろん、被災した方々の生活が元通りになったわけではない。

 胆振・日高や輪島の「被災」と「東京・大阪・横浜」の「復興の時間」を、何を基準に比べたらよいかは分からないが、おそらく、東日本大震災、北海道胆振東部地震、熊本地震なども含め、「日常」を奪われた地域では、未だに、「復興」の二文字を感じられていらっしゃらない方々もいらっしゃることは、間違いないと思われる。

 神戸・淡路大震災後、2004年新潟中部地震、2011年東日本大震災、2016年熊本地震、2018年北海道胆振東部地震、2024年能登半島地震で相次いで「震度7」の揺れが日本各地を襲っている。

 すでに、「ニセコ」や「富良野」「札幌」に移住するのでも、役所やコンビニや病院などのチェックとともに、地盤やハザードマップの確認が必要な時代が来ている。

 各地でいまだ地震の爪痕が残る中、「地震王国JAPAN」では、この先、「地震活動が活発にいなりつつある」と主張する専門家もいる。加えて、「異常気象」が進み「亜熱帯JAPAN」になりつつある日本は、これから「豪雨対策」も必要だ。東京都では、かなり前から、亜熱帯の植物が自生し始めていると言う話。個人的な推測ではあるが、「気候の変動」も「北海道米」の名前をあげる要因になっているような気がしている。昔は「上川盆地」が米作の北限で、北海道のお米はいまだにまずい、と複数の「地理」の先生に教わった記憶がある。

 国民の「安全」「日常」を「自然災害」から守るだけではなく、増えるインバウンドの外国人に対しても十分な「防災対策」「防犯対策」が望まれる時期に来ている。

 自然災害の例として自分の中で印象深いのは、2016年の台風水害である。同年は、台風7号、9号、11号など4つの台風が相次いで「北海道」に上陸またはそばを通っていった。この時、JRの運行に重大な影響が出た。北海道の新得を中心に、橋台や橋梁が流され、石勝線、根室本線が「不通」になってしまったのだ(他にも路線に被害はあったがここは「石勝線」「根室本線」に絞って書く)。

 石勝線は、文字通り、「石狩」と「十勝」つまり「札幌」方面と「帯広」を結ぶ北海道の「大動脈」であり、現在の特急「おおぞら」「とかち」が走っている。根室本線は、「石勝線」が開通する前は、「釧路」ー「帯広」ー「富良野」ー「滝川」(以下函館本線)ー「岩見沢」ー「札幌」を北回りで結んでいた「旧大動脈」である。特急「おおぞら」も、かつては、この「根室本線」を通り、釧路ー帯広-札幌間をつなぐ重要路線だった。

 現在のルートは「石勝線」で釧路ー帯広ー新得ートマムー追分ー南千歳ー新札幌ー札幌となり、日本の穀物倉庫、十勝平野の中心、「帯広」から北海道の道都、「札幌」へ、特急「とかち」が走り、途中、南千歳「旧千歳空港駅」、北海道の空の玄関口を経由している。

 この「JR」の幹線2つとも、2016年に、豪雨災害により、札幌・富良野方面に向かう「石勝線」「根室本線」ともに「新得」あたりを中心に大打撃を受けたのだ。

 「新千歳空港」へのアクセス線(現在は道東から「エスコンフィールド」へ向かう際に、利用する人もいる)でもある「石勝線」は、北海道を横断する重要路線でもある。すぐに復旧作業が開始され、「おおぞら」「とかち」が走行する「石勝線」は復旧したが、残念ながら、「ほっぽや」のロケ地の幾寅駅などを含む「快速狩勝」が運行されていた「根室本線」は長い期間「東鹿越~新得間」が不通となり、「バス営業」に転換され、2024年、新得ー富良野間は、とうとう「廃止」の運命をたどった。新得ー富良野間は、山間地ではあるが、昔の急行・特急など優等列車の停車駅として長いホームを持つ堂々とした風格を持つ駅などもあった。途中駅、「やまべ」あたりは、「学生」の乗降も結構あったように記憶している。「東鹿越(信号所)」の車窓から見る美しい「かなやま湖」も再び列車からは望むことはできない。残念である。

 繰り返しになるが、地震の際も、台風の際も真っ先に『画面』に飛び込んでくる「孤立地域」は、たいてい人里離れた自然豊かな山奥や海岸に位置し、災害時にその道が分断されやすく、救援物資や生死を握る物資、例えば水や冷暖房器具、毛布や雨風をしのぐ住む場所、車や公共交通機関がないと、健康や生活を維持できる病院や美容室、また多くのインフラなどの復旧がしにくい地域だ。

 「姥捨て山」と言えば、言葉はかなり悪いが、共働きの現代社会で、「高齢になった家族」を「介護施設」などに預けるのが、「普通」だと感じている皆さんも多いのではないだろうか。「お年寄り」が身を寄せるさまざまな「施設」も割と「大都市」から離れた山間(やまあい)や海が見える場所などにあるところが少なくない。場所を選ぶ際は、ぜひ、ハザードマップや地盤も検討し、なるべく「会える」機会を作れる場所を選ばれると良いかと思う。何だか「施設内」の暴行事件などのニュースが流れるたびに、「現代社会の闇」を垣間見るようで、やりきれない思いになる。今のご高齢の方は、自分の親の世代のことを思い出しながら「昔はもっと年寄は大切にされてたんだよ」と心の中で叫んでいるにちがいない。

 2024年、甚大な被害が出ている能登半島でも、やはり、都市や街からたどり着きにくい地域が道路が分断され「孤立」した。長い「被災生活」での「精神的な疲労」や子供たちへの「教育」も気になるところだ。加えて、今、「豪雨災害」で「仮設住宅」の使用までもが難しくなっている状況である。

 日本は国土が狭く、「背骨」の部分は北海道から九州まで険しい山が連なっている。その昔、山を切り開き、棚田や段々畑などで作物を作る工夫をし生活領域を広げ、海や湖を埋め立て農地や生活空間を作り、あるいは、建物を高くする技術を磨き、住む場所を広げてきた。今、この母国の大地を、自分たちが住む場所を、どのように維持するか、今、考えなければならない時期にきている。

 さて、英作文の話に戻る。「大学入試」や「高校入試」では、用意した文章を書けばすむ問題もある。

 だが、実際に「私は、都会に住みたい、田舎に住みたいと簡単に言い切れるだろうか。日本と言う国で起こる「自然災害」を考えると、~」のような英作文をぜひ、書く生徒が出てきて欲しい。

 そして、安易に「どちらが住みたいか」と聞いているのだから、こんな英作文は、文法が合っていようと、表現が上手かろうと「×」だ、と採点するような先生が「減って」くれればいいな、と思う。なぜなら、このレベルの作文を書くということは、「この書き方をすればダメ」なことは十分知っていて「勝負」しているも生徒もいるはずだから…。

※2024年、能登半島地震をはじめ、現在も日本国内で地震や津波、豪雨などで被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。