「先生に叱られるから宿題やりなさい」…このお母さんの声掛け、お子さんの成績を伸ばすのにマジ時間がかかります!

2024年9月28日

★本来、十に行かせたからと言って「勉強が嫌い」な子供がなかなか「勉強好き」にはならない。楽しい授業、気に入った先生がいるだけでは、成績アップ、受験突破はむずかしい。

 まあ、まともに「宿題しなさい」と言ってしまうと「今しようと思ってたのに…。やる気なくすわ~」と子供に返されてしまいどうしてよいか分からなくなる。何とかしようと「先生に叱られるからやりなさい」と言ってしまう気持ちは分かる。

 自分も、中学生・高校生の頃は、叱られるまでテレビの前に座り、宿題をしながら、机の前のラジオにかじりついて野球中継をイヤホンで聞いていた。

 話は変わるが、「集団授業」の塾の場合、①自転車置き場がぐちゃぐちゃ ②授業見学の際、机の下でスマホをいじっている生徒がいる 塾は、僕が親なら入塾は避ける。

 さて、面談の際、よく「塾の先生の言うことならうちの子聞くと思うんですよ」「××先生の授業、とてもわかりやすいって子供が言ってます」という話が出る。

 でも、ある教科が好きだ、授業は好きだと言う生徒はいても、「本当に勉強することが好きな生徒はクラスにはほとんどいない」のが実情だ。

 例えば、有名な高学歴のユーチューバーが、投稿の中で「勉強は大好きだし…」と言っているのを見て、この文章を読んでいる皆さんはどう思うだろうか。「すごいな、こいつ」と思うのは分かる。「変な奴」と考えるのも分かる。でも、そこで、「うらやましい」と思いつつも、我が子をこの人に預ければ、「勉強好きになる」と考える親は何人いるだろうか。

 「生徒の成績を上げるスーパー講師」が塾にいたとしても、その先生につけば「勉強が好きになり」「誰でも成績が上がる」わけではない。

 「勉強なんてしたくない」のではなく、「勉強が嫌い」な生徒が大勢いるのを知っているから、面談で塾の先生が言葉につまってしまうことがある。

 塾では、「真面目」に勉強していると思っているお子さんが、「授業5分前に宿題を友達から見せてもらっている」こともあるし、「宿題は記号の問題しか埋めて来ない」「小テストでカンニングをしてしまう」こともある。「時間前に来て自習して分からないとこを質問してね」と声をかけると、次の日、授業前、自習室で「友人とスマホを見ながら騒いでいる」お子さんもいれば、「授業中、授業以外のことで盛り上がる」トラブルメーカーももちろんいる。

 まずいことには、なかなか「注意しても治らない(「直らない」ではない、もうここまで来たら、「病気だよ」と講師が思うレベル)のお子さんも時には在籍する。心の中では「キミ、他の塾でがんばってみない」と言ういう気持ちを押さえ、生徒の指導の当たった経験のある講師の方もいると思う。僕が「主任」をしていたときに、後輩の講師に「もう、アイツ、放っておいていいですか」と深刻な顔で相談されたこともある。お子さんが、家では決して見せていない姿を塾でしていることもありうるのだ。

 月々の報告書などを郵送やメールで送っている塾であっても、「面談」をしてみると「えっ、うちの子が…」と親御さんが驚いた顔をされるケースは少なくない。さすがに、授業後「自習室」で騒いでいる生徒に対しては保護者にも、即、連絡し、帰した理由は説明する。

 しかし、その他の行為は、「親と口論」になり、「退塾」にいたる恐れが高い。「うちの子が…」からうわさが広がり、塾の評判を落とすことにもつながりかねないし、塾自体がそういう行為を「知っていて止めらない」のも大問題だ。いくつか、「声掛け」以外で、生徒に宿題をさせるよう仕向ける対策はあるが、それでも言うことを聞かないしぶとい生徒は存在する。また、生徒によっては、通っている塾が「大好き」という生徒が多い。ここでも保護者の勘違いが多いが、授業を受けるのが好きでも、「勉強するのが好き」なわけではない。

怒っているのは「誰」なのか?「誰」に対して怒っているのか?

 塾の講師や学校の先生に「うちの子、先生の言うことは聞くと思うんで、宿題するように言ってください」と面談で伝えたり、電車や公園で相手の親に向かって「うちの子が何かあなたに迷惑を直接かけましたか」とは強気に言えても、

 「せっかく塾に行かせているのに勉強しない姿を見ているとムカつくんだよ」「数学の『2』、あなた何とかならないの」「うるさいな~。電車の中で。恥ずかしいだろ」とは自分の子どもになかなか言えないものだ。

 その結果、「塾の先生に叱られるからやりなさい」「おじさんに怒られるよ、静かにしなさい」と思わず言ってしまう親御さんの気持ちもわかるような気はする。

 塾の先生・講師からしてみると、「先生に叱られるから宿題しなさい」「おじさんに怒られるからやめなさい」と言う言葉で生徒がやる気になって成績が上がる、人前で騒ぐような態度をやめ、いつも「be a good boy/ good girl」になる、なんてまず、考えられない。

 一つは、腹を立てるのは「塾の先生」「隣のおっさん」であれば、「ママは怒っていないんだな」「パパは怒っていないんだな」と思うから。二つ目は、この言葉によって子供が「勉強しなきゃ」「宿題しないと」「静かにしなきゃ」と本気で思う率が低いからだ。せいぜい、怖い親を見て、「やばい、今は、言うことを聞いておこう」「ここは静かにしておこう」と思うのが関の山だ。

 「宿題(勉強)」は「塾の先生に叱られる」ためにするのものではない。「叱られる」から強制されてする勉強なんて面白くないに決まっているし、多少点数が上がっても「頭打ち」が来る。令和のこの時代、塾でも「鬼コーチ」「強制的な指導」は真っ先に嫌われる。「自動車学校」でさえ、「褒めて伸ばす」時代なのだ。

 それでも、塾の講師は、生徒に強く注意しなければならない時、叱らなければならない時はある。

 生徒に対して「辞めていいよ」「もう、君には教えてあげないね」と言うような権限を与えられている先生、講師は各塾に「数名」は存在する。たいていは「塾長」「教室長」「副教室長」「主任」などの役職のついた先生たちになる。

 ただ、自分の生徒からの評価や他の生徒への影響、塾の評判、親からのクレーム、果ては辞職まで考慮しなければ使えないいわゆる「重いセリフ」だ。

 そのためにも、親御さんの方々には、まず、多くのお子さんが「勉強がきらい」であるという事実を、まず、認識していただきたい。「ピーマン」が嫌いな子供がなかなか「食べるようにならない」ように、「勉強ぎらい」の子供はなかなか「勉強が好き」になるようにはならない。多くの塾の先生が(保護者には面談で絶対に言わないが)ここを分かって欲しい、と望むところだ。僕は「勉強が嫌いではなかったが、できればしたくなかった」。さて、今、読んでいる皆さんはどうだろう。

 入塾した後の面談で「お子さん、お勉強お嫌いですよね」と宣言すると、たいていの親御さんは、「えっ」という顔をされる。まるで、「あんた、せっかくうちの子預けてるのに、何言っとんの。イミフやわ~」と怪訝な表情を見せる。

 振り返って欲しい。読んでいる方が、「医者・弁護士」を目指し、毎回、授業後、先生に質問し、昼休みも問題集をひらき、行きかえりの電車で単語集を見て、「勉強」に打ち込む、あるいは「勉強が大好き」だったのであれば、お子さんにもそれを強制する気持ちはわかる。

 しかしながら、「野球」「サッカー」「バスケ」に打ち込み、あるいは、「吹奏楽部」で全国大会を目指し練習に明け暮れ…(しかし、吹奏楽部の子たちはなんであんなに楽しそうに男女混合で帰るのやろ?)。中学・高校と「部活命」で過ごし、同窓会や仲間との飲み会で「勉強が楽しかった」なんて口が裂けても言わない大人の方が多いが現実なのじゃ(あ)なかろうか。よく考えてみて欲しい。塾が「寝場所」だった方、あるいは、「サロン」だった方、「親からの避難場所」だった方、「推しの先生」の授業を受ける場所だった方、「彼女」との時間を過ごす場所だった方もいるのではないだろうか。

最初はだれでも「楽しい」と思われている勉強、いつごろから「××嫌い」が生まれるのか? 

 最近の「クイズ番組」は考えられて作られている(ような気が僕はする)。「さくら」は「紅葉」するかしないか、なんていうのは「小1」の「理科の教科書」に載っているようだ。東京の教室では中学生、高校生を見ていたので、生徒の使用している各学校の「検定教科書」は一通り持っていた。自分の塾では、小学生は基本的に受け付けていなかったので、大手塾の「中学受験のテキスト」ぐらいしか置いていなかった。時間があったら、今度、小学校の教科書を取り寄せようと思う。

 「社員」になりたての頃は、塾のパンフレットに「小学4年生」からのコースが載っていた。数年もたたないうちに東京都では「小学3年生」のコースができ(2件目の時は私立中学校の親御さんの要望があり、小1生を見たこともある)、どんどん「塾デビュー」の年齢が低くなり、今では「小学1年生」からのコースが当たり前に見られるようになった。「中学受験」の内容に従って、勉強時間が必要になったことも一つの要因だ。

 生徒に気を遣う塾では、小4までは、クラス分けの名前に「S」「A」「B」などの習熟度別の名前をつけない傾向もあるようだ。「小4」は微妙な年ごろだ。他人を意識し、クラスでの自分の位置が分かってくる。「学級委員的存在」「裏ボス的存在」「スポーツで目立つ存在」「勉強ができる人という存在」「クラスのアイドル的存在」「ムードメーカー的」存在しなどが意識され、生徒によってはよけいな発言や行動を避けるようになる年頃だ。

 「小5」になると、さすがに「受験校」や「偏差値」によるレベルクラス編成になる。嫌が上でも、今の自分のレベルを意識せざるを得ないのだ。「小4」から「小5」に上がる際、いわゆる「転塾」する生徒も現れる。当然、塾でも「転塾防止」策を取る。「成績」が「上がらなかった」理由を分析し、再度、「志望校」を検討、これからの「対策」を「保護者面談」と言う形で伝えるのが一般的だ。

 小学校高学年から、勉強は、「スピード」も上がり、難しくなってくる。こうなってくると、中学校での「数学嫌い」「英語嫌い」の予備軍が登場するようになる。

 「国語」は自分で文章を音読する機会も少なくなり、通読なんてしないのが当たり前になってくる。これは、「学校」でも「塾」でも一緒だ。今も、本好きでよく読む生徒が「国語」は得意になる傾向は変わらない。本を読めば、新しい漢字にも出会えるし、自分が読めない言葉に出会え、味わえない体験をすることも可能だ。『読むスピード』も普段、本を読んでいない生徒とは段違いに速い。

 これは「英文」に関しても同様なことが言える。英文に関しては、特に中学生が読むような「良い教材」がないように思う。小学校から英語を勉強しているというのであれば、個人的には、NHKの「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」の「シャドウイング」「ディクテーション」がお勧めだ。この本に、「設問」がついていれば、使えるのになあ、と本気で思う‥ヤバい、「天の声」に叱られそうだ。「先生、問題がなければ自分で作ればいいじゃないですか」…これは、私が勤めていた塾でよく上司が言っていたセリフだ。

 「数学」は「比例・反比例」など、高校に入っても使う大切な単元が並ぶ。「単位」についての理解や「少数のかけ算・足し算」も馬鹿にできない。なぜなら、高校でも「物理」「地理」などの教科でその知識が必要だからだ。「時速」やの計算などがその代表である。「道のり=時間×速さ」では、比例・反比例の考え方も絡んでくる。

・「時間が一定の場合 道のり=a×速さ(時間が一定なので定数と考えれば)『y=ax』になり」、「速さ(x)と道のり(y)は比例」する。

 つまり、例えば「時間が一定の場合、道のりが2kmから4kmと2倍になれば、速度が3km/時だった場合、2倍の6km/時」となる。当たり前のことだが、より『長い道のり』を「同じ時間」で行こうとすれば「速度」を上げなければつかないのは当然のことだ。

・また、「速さ」が一定の場合、「道のり=a×時間」と考えると、やはり、「道のりと時間」は「比例」の関係だ。「歩く速度」を一定だと考えれば、「道のりが3倍になれば、当然時間も3倍かかる」。

・逆に、「反比例」の式を変形すると「xy=a」となる。ここで「時間×速さ=道のり」とすると「道のりが一定」の場合は「時間と速さ」は「反比例」することになる。つまり、「4時間(時間)×(速さ)=12km(道のり)の場合」、速さは「4に何かをかけて12になる数」なので、「3km/時」となる。

 反比例の式は、ただでさえ、上が「x」なのか「a」なのか分からない生徒が中1生でも多い。「xy=a」の形(掛けたら一定の数になる関係)も押さえておきたいところだ。

「塾」を使って成績をupさせる、ときに必要なことは何か。

 昔、喫茶店やゲームセンターで「100円玉」を積み重ね、何時間もゲームに熱中していた時代、サイコーだったと思う方もいらっしゃるのではないか。「何度もクリアーできない」時も、「攻略して満足した」瞬間も…。あれは「ゲームだから」熱中できたんだよ、いう声が聞こえてきそうだ…塾で「あの熱気」を味わえるだろうか。もっと言えば、「勉強」で「夢中」の「熱気」を感じられるだろうか…。なぜ、「ゲームのように」勉強ができないのだろう。その答えは、読者の方自身がよく知っている。そして、だから、我が子を「塾」に通わせるのではないだろうか。

 部活後、ある者は、ご飯を食べる時間もなく「塾」に来る。ある者は、疲れているが必死に目をあけようとしている…好きな教科の授業なのか、推しの先生の講義が好きなのか、あるいは、その教科が大ピンチでどうしても点数が必要なのか、はたまた好きな子がその教科が得意なのでそのクラスで勉強を受けたいのか…。勉強をちょっと頑張ろうと思う8割の人間の「動機」は不純なんじゃないか?僕はそう思ってしまう。

 「寝る」のはどうかとは思うが、まず、塾に来て休まずに来て授業を受けること、これが塾側から見れば「合格一丁目一番地」だ。先生がちょんと起こしてくれ、意識のあるうちにその日、「おみやげ」として学んだことが一つでも二つでも残れな良い。その次に大切なのが、「宿題を自力でする」ことだ。もちろん、学校の宿題をした上でだ。最後に、学校の勉強の「予習」をする。これが、成績アップへの近道だ。自分で「声を出し」「目を使い」「頭で考え」「手を動かし」勉強することが何より大切なのだ。

 考えてみて欲しい…塾で1回予習する、家で塾の宿題を解く、学校で授業を受ける、学校の宿題を解く、塾で対策授業を受ける、学校の提出のワークを解く…こんだけの回数こなして点数が取れないのはおかしいと思わん?てことになりませんか。「勉強の方法」も大切だが、「本気で勉強していない」ことが最大の恐れがあると考えるのが普通だ。

 「塾」は「楽しい」し「勉強」が「分かるよう」になるから行かせている、と信じている保護者の方は多いと思うが、それだけでは「点数は劇的に上がらないし」「一つ上の高校へ」「偏差値の高い大学へ」という目標が達成できない。

 そして、まさにその目標を達成するための重要なアイテムが、生徒のキミ自身が嫌いな「小テスト」や「宿題」である。

 「宿題」や「テスト」のために勉強してるんじゃねえや、小テストなんて、宿題なんて忘れても大したことはない…と思っている生徒は多いよね。

 「受験」も、「ピアノ」や「体操」、「水泳」などと一緒で、「一定の時間でものごとを仕上げる力」が要求される。「時間内でノーミスかつ表情豊かな演奏をする」「美しい演技を緊張感に負けず、本番で決める」「練習の成果としてぎりぎりのせめぎあいでよいタイムを出す」のと同様、勉強も「時間内で正答を導く」ところまで仕上げることが大切なのだ。これは、マジで大人になっても役立つ。仕事にも「期限」というものがあるからだ。そのためには、「練習」や「復習」は欠かせない。

 もし、「25年かけて基礎力を底上げし、応用力を鍛え、絶対にトップの高校に合格させます」と言う塾があったら、皆さんは通うだろうか。「受験日」に「時間内」で「一発勝負」で「仕上げる」ことが要求されているのだ。

 「苦手な教科を克服し、得意教科を伸ばして成績を上げるために塾に行かせてもらっている」、という親の気持ちはある程度、お子さんにも伝わっている。子供たちだって「勉強しなきゃ」「良い点数が取りたい」と思っている。

 生徒によっては、「マジヤバい、塾やめさせられちゃう、センセ、どうしよう」と相談してくることもある。この子はこの塾のこと、気に入ってるんだな、とは思うものの、残念ながら「手遅れ」の場合もある。「手遅れ」にならないよう、「気に入った塾で勉強できなくなる」前に、自分でも「本気のケア」が必要だ。

 当然、今通ってらしゃる塾でも「宿題の声掛け」「宿題のチェック」や「授業前後の小テスト」「居残り勉強」「補講」などを実施し、お子さんの成績を伸ばす努力をしているはず。面倒見の良い塾なら、やる気が出ない状態のお子さんを、絶対に「放置」はしない。

 「内申2」の生徒を「3」にするのはそんなに難しくない。しかし、「3」を「4」に、「4」を「5」に上げるのは、結構至難の業だ。ちなみに、中3だけで「内申9」「内申8」と爆上げした生徒を目の前で見たことがあるが、まあ、「ミラクル」そのものだ。

 生徒の「本気度」「ツキ」「中学校の先生との相性」「テスト内容の得意・不得意」「定期テスト本番の生徒の調子」…さまざまな「化学反応」が2度、3度、起きなければこういうことは起こらない。奇跡を起こしたのは、いずれも東京都の生徒で中3生。二学期の内申が入試に影響する。ただし、中3二学期だけがんばっても、中学校の先生はなかなか「内申」を上げてくれない。中2の学年末からの流れを加味して成績は決まることが多い。東京都の場合、最低、「一学期の定期テスト」からの勝負が必要だ。

 内申「3」の首位範囲は広く、時に「25点(数学などの平均点がムッチャ低い場合)」ぐらいから「90点(英語などで平均点自体がアホみたいに高い場合)」にまで及ぶ。

 自分の点数が「25点」で「3」をもらえたなら「ラッキー」などではなく、「キミ、入試本番でどうするの?」ということになる。「苦手教科であれば一桁」の点数の恐れもある。

逆に「90点」での「3」であれば、入試本番、少なくても「60点」以上は取る期待ができ、残りの点数を内申でカバーするため、どうしても「4」に上げたい、ということになる。「模試」では通常「20点~30点」、幅はあるが点数が取れないのが普通である。

 だからこそ、学校の先生の印象を良くする(①授業態度をよくする ②質問などをよくしにいく ③遅刻をしない ④問題を起こさない)というようなことが重要だ。「内申」にも、大きな影響を与える。

 中3の12月の志望校を決める面談の際、「パパやママが決めた高校を受けるんだから、自分の受験なんかじゃない」と生徒自身が感情的になり、面談の最中に親子の「修羅場」につながるようなことにならないように、親御さんは「学校の様子」「塾の様子」「ご家庭の様子」を知っておく必要があるのだ。 

 中学生の「内申点」を決めるのは言うまでもなく「学校の先生」である。塾の先生が気に入り、どんなにその授業が好きでも、学校の先生と相性が悪かったり、点数が出なかったり、塾の宿題はするが、学校の宿題は適当、では受験の際、大損である。

 最近では、「親がかなわなかった夢」を「子供」に託す形での「志望校」を決めるケースは昔よりも少なくなってきてはいるが、それでもなお、「少しでも進学率の高い学校」や「面倒見のよい(親としては我が子の学力を少しでも上げてくれる)学校」を選びたいという親の気持ちが面談では前面に出てくる。

 その時に、「過去問をとけるかどうか」が一つの基準として大切になってくる。「模試」も大切だが、毎年類似の「過去問」が出ている場合、やはり同じ「偏差値」や同じ「傾向」のある「高校」や「大学」の過去問を解く方法がベストマッチの生徒もいる。大学受験の場合「最低10年分程度の過去問」を授業外の時間に生徒を呼び、解かせて指導している塾もある。面談などで見てもらえるかを確認して欲しい。

 「敵を知る」という意味で、「過去問」は、very important だ。

 秋までには、ぜひ、「志望校の過去問」に目を通してほしい。親子で目を通せしておくのもお勧め、お子さんが中3生であれば、二学期の面談の際、「息子は二次関数が苦手なようですが夏期講習ではどうでしたか」「英語の長文問題で点数を落としているようですが入試まで宿題でフォローしていただけますか」というような質問はできるだろう。

 「過去問」を解く際、逃げてはいけない、「9月に解けない」ものは、何もしない状態では「12月になっても」解けない。答えを丸暗記して「高得点」が取れても、「類題」が自力できなければ力不足だ。どんな問題が出て、自分が解けない問題に対し、一問一問「何が必要なのか」クリアーにし、解けるようにすることこそ「近道」なのだ。例えば、「関数」の問題ができないのであれば、「関数」を一通り復習してから、再挑戦するとか、英文が読めないのであれば、中1の教科書から音読を開始して、どこで自分が詰まるか確認して、中3の教科書までスラスラ全部音読できるようにするとか。少し時間はかかるが、その3日、1週間で「基礎力」がつく勉強もまだギリ間に合う時期(書いている時点は9月末)だ。

 模試の「偏差値」や「内申」だけを見て一喜一憂していては足元をすくわれる場合もあるのである。

「塾の先生」との相性が悪い、「学校の先生が嫌い」「親が大嫌い」…が原因で「やる気なくなるよ~」の件 

 「受験」とは一発勝負の「自分との戦い」と言ってよいと思う。

 長年、生徒を教えていると、毎年にように、「塾の先生が嫌い」「親が嫌い」「学校の先生が嫌い」という話が出てくる。

 「塾の先生」との相性がわるければ、①塾を替える ②相性の悪い先生の教科だけ「家庭教師」「他塾」に変える ような手立てが考えられる。どうしても本人がダメなら①かな、と思う。ここから「冬期講習」は勝負所だ。

 「学校の先生」との相性が悪い場合は、前述したとおりである。「内申」を握っているのは学校の「先生」である。人生で、この先、仕事などで「相性の悪い」上司などとセッションしなければならないシーンが出てくるだろう。得策ではないかもしれないが、「演技」で乗り切って欲しい。キミが「こんなヤツ大嫌い」と思っている人に「成績を決められる」恐れがあるのだ。何度も言うが、「試験とは自分との戦い」だ。良い成績を取って見返すことができればスカッとするだろう。自分の気持ちに勝つのことも大切だ。

 「親が大嫌い」…これは意外と難しい。お互いに本音をだせば、「大喧嘩」になってしまい、しばらく「勉強」どころではなくなる。ここは、親御さんの協力が必要だ。お子さんの、学校・塾の「自習室」や「図書館」を使い、なるべく家以外での勉強時間を作り、見守ること、塾の先生に「指導は塾に任せてください」と言われている場合、「勉強しなさい」「宿題は終わったの」と逐一お子さんに絡まないようにすることが大切だ。

 親御さんも知っておいた方がよいと思うので書いておきたい…子供たちは平気で「親の悪口」や「学校の先生の悪口」「自分と相性の悪い生徒の悪口」を自分の言いやすい講師に話してくる。

 いよいよ「二学期」が始まった。この先、塾は徐々に受験に向け「ピリピリ」モードに切り替わる。中3生は、二学期は「重要単元」が多い。授業自体が受験に直結していく。。

 勤めていた3件の塾では、安易に生徒に迎合もしなければ、親の意見を鵜のみにすることもなかった。複数名の講師で相談、会議をし、上司に報告、親に連絡をするかどうかも確認してから行っていた。もし、生徒からの真剣な相談だと感じた時に、「そんなこと言ったらみんなに叱られるよ」「君、ちょっとおかしいよ、みんなに笑われるよ」「親に対してそんなこと言っちゃだめだよ」などという話で生徒の気持ちをその場でなんとかしようとしては危険な場合もあるからだ。

「他人に叱られるからやりなさい」「他人に怒られるからやめなさい」と言う言葉を使いたい、と思う瞬間、それは、逆に、その場で子供と真剣に向き合うチャンスなのではないか、とも思うのだが、いかがだろう。時には、親自身が「それはダメだ」「気に食わないんだ」と「本気」で子供に接することも大切なのではないだろうか。

 長い文章になってしまった。ここまでお読みいただきありがとうございました。

※自分の都合で、「未完成までにもいたらない文章」を「公開」することになり、大変失礼いたしました。一部、内容を変更し、再公開いたします。失礼いたしました。