きれいなノートはすべての生徒にとって正義ではない④
★完成度を目指す先生や講師の強い味方、「レジュメ」と「授業プリント」★
◆◆◆さて、「スピードある授業」を何とか成立させる、あるいは、「スピードある授業内容」を効率よく進める教師や塾の講師の強い味方の一つが「授業レジュメ」だ。◆◆◆
授業が鳥瞰できる(授業内容が一目で分かる)、教える側と教わる側両方の「書く時間」を短縮し、授業の濃度を上げるために生まれたのが、「授業レジュメ」だ。通常、「先生や講師」がPCで打った、または手書きで作成した、ある程度、授業の流れを簡潔にまとめた「ノート」的な物だ。この「レジュメ」、授業スタイルから言って、「復習型」の勉強が主流になる。
それを使い、教える側は、授業で「しゃべりまくる」のが基本スタイルとなる。「しゃべりるまくる」ということは、「文型科目」だとほぼ内容説明や解説の授業、「理系科目」だと「演習→解説授業」で主に使われる。「生徒ととの対話型」授業というよりは、「パフォーマンスを伴うスーパー講義」の方が近いイメージだ。レジュメには、「数式」や「図」「グラフ」も載っている。生徒たちは、「図、グラフ、文、途中計算」を「ノート」に書かなくても済む…しかし、どんどん「答案用紙に正確に速く書く」という作業から離れていく。
さらに悪いことには、講義や授業が終わった時点ですべてを「分かったような錯覚」に陥る。イヤミを言えば、聞くことに特化し「集中」できる、分、「聞き方」のテクニックが必要になると言うわけ。この「レジュメ」、生徒たちには、大人気だ。その一方、滑らかな講師のベシャリ中、ただ座って聞いているだけで満足してしまう、という問題点もある。
この「レジュメ」の登場により、「快速列車」程度の授業が、一気に「特急列車(受講する教科が苦手であれば東北新幹線なみ)」に「スピード」upしてしまう。
特に、予備校では、「日本史」や「世界史」など社会科の授業、や「問題解説型」の授業で配られるケースが多い。この「レジュメ」は生徒側がほとんど「重要事項」を書く必要がない。よって、「書いて覚える」タイプの生徒は、「暗記する」と作業が必ず必要になる。
授業中に何とかしたいという思いから、勢い、生徒は、講義を聞きながら、重要だと思う部分に「マーカー」をひきまくり(マーカーをひくことが勉強だと思っとる生徒も実際おる)、「レジュメ」にメモ(このメモも早い講義の後では解読不能事件は続発する)を加えるようになっていく(こちらは”書き”で覚える生徒に多い)‥ちなみに、マーカーを引くだけで記憶に残る効果(後で見直すためにひく場合とは異なる)に対しては、疑問が残るという実験結果も複数あるようだ。先生の言うことまですべて「書く」、教科書の丸写しに(文系教科)関しては、人によって効果が結構違うようだ。
「特急」の授業なので、「漢字」や「計算問題」「解答率の高い問題」の答え合わせや解説は、当然「通過駅」となる。最初から「解答」や「周辺知識」「予備知識」「手順」「別解」が載っている充実した「レジュメ」も登場し、「わからないことがある人は後で聞きにくるように」と教室内にアナウンスが流れる。
ここに至り、教える先生・講師側は、「レジュメ」が、「模試の解説書」のようにならない工夫が必要になってくる。
だって、「模試の解説冊子」なんて「全部読むヤツ」ほとんどおらんやん。読むだけではほとんど身につかん。
ホンマは「模試の解答・解説」、メッチャ使えるんやで。真面目に勉強すれば、偏差値「50前後」の人なら「5~10」は一気に上がることもあるんや。
だいたい、まず、「模試中」にあきらめて「寝たり」「ぼーっと」してしまうからアカンねん。こんなんしてたら、その先の「受験勉強」が大変になるばかりや。
試験中にやることが仰山あろう…
「わからん漢字や単語、古語を余白に書いておく」…後から調べてノートにまとめればいい。
「文章の要約をしてみる」…ひょっとしたら、一問、二問、時間内に解ける問題が出てくるやもしれん。
「意味の分からん英文や古文・漢文を余白に書いておく」…どこがダメで読めんのか…単語や古語、漢字なのか、それともフレーズや文法や句法なのか後で確かめることが大切なんや。
「解けん問題を復習する計画を立てる(微分方程式・平安時代の復習をし問題集を3日で2周するなど)」…自分の弱点を知り、克服に向かうチャンス、それこそが模試やろ。
あと、意外と重要なんはこれや。「現文や英文の『選択肢』でようわからんかったものをチェックしとく」…自分が間違えやすい「パターン」や「言いかえ」を知ることは、勉強するうえで大切なことや。
「クラスメイト」のデキや「自分」の偏差値ばっかり気にしてても成績は伸びひん…。特に、「解説」で「和訳」だけ確認したり、「数学の問題の解き方」だけ読む、このタイプが「伸び悩み」で一番多いんや。そんなんで「点数上がるやつは」一握りしかおらん。帰って、できれば、自分ができなかったことを「再演習」したり「ノート」化して「確認」「整理」すること、このひと手間が大切なんよ。
話を戻すわ。「教える側」としては、あまり「レジュメ」が厚いと授業中、生徒がよく「落ちる(音楽用語:どこを演奏しているのかわからなくなってしまうこと、つまり今、どのページを授業しているか分からなくなることを指す)」し、中には、講師のあまりのベシャリの心地よさに寝息を立ててるヤツも出てくる(この意味では、実は講師の「声」が良すぎるのも問題なんや)し、後で見直さない輩も多くなる。「白板」「黒板」を使わん分、「講義」の力量が「別の意味」で問われるようになるわけや。
◇予備校などの「問題演習の解説型」の授業では、各教科とも「予習」が当たり前で、この予習をしないことは、ほぼ実力アップを自ら放棄するに等しい。テキストが欲しくて、そのテキストを自分で勉強できるのなら構わないが、予習なしで授業に参加するのは、そうとうな「得意教科」でない限り、たいていは、時間と金の無駄である。受験生は時間に追われている。まさに「Time is money.」やね。
★先生、「予習」って意味あります?「何していいか、分かりません」★
ま、多分、そこで出てくる質問が、「予習って何をしたらいいんですか」チュウやつやな。「数学」なら、「例題」「練習問題」を予習すれば、少しは後の勉強に役に立つかも、と思っている生徒はいるかもしれん。
でもな、文系教科なら、「音読」まではしなくても、教科書やテキストを「目で読む」、理系なら、あらかじめ教科書の「重要事項を確認」し、「実験内容」や、「例題・練習問題」なんかにに目を通しておくのは、基本中の基本やろ。
予備校のテキストに関わらず、学校の授業でも「現文」や「古文」「漢文」「コミュニケ―ション英語の本文」は予習段階で時間があれば読んでおいた方がええし、「化学」や「物理」の実験結果を調べたり、計算問題を自分で解いたりすることは、後々、受験の役に立つ。
『明日の授業範囲を一度読む、目を通す』ということから予習を始めればいい…問題集から始めたり、設問や選択肢から読んだりしても、できるんならええよ、でもね…
「その文章を読まずに批判的に読むもへったくれもない」…んやないか、と思うんや。好きな人ができた時も、嫌いな奴がいるときも、まずは「敵を知る」こと。そして、今の自分にどんなことができるか、「自分を知り」考えるやろ。
「国語」であれば、自分が「テーマ」だと思う箇所、「筆者の主張」だと思う部分、「主人公の感情の変化」と「その原因」だと思う部分ぐらいは「マーク(記号化)」しておくとか。他にも「分からない漢字・単語・フレーズ」「訳せない古文や漢文、英文」のチェックなど、自分の「弱点」が分かるやろ。
「理科」であれば、実験に使う道具の名前や薬品の名前でわからんものが出てくる。実験の目的を読めば、授業で何をするのか、が分かる。そこで、ネットで実験結果や重要事項を知っておくのは、悪くないやろ。
「予習」することで、明日の授業で自分が「何を聞くか」という「指針」が見つかるやろ。
自分が予習時点で感じた疑問を、先生や講師が触れない場合、、
①教える側が説明する時間がない
②受験生としては説明しなくてもわかっていて欲しい内容である
③教える側がわざと説明をしなかった場合…などが考えられる。
ぜひ、「職員室」「講師室」に行って質問しよう。ただ、先生や講師も忙しい。聞くのであれば、きちんと自分の予習でしたことや推測なども含めて失礼のないように聞いて欲しい。「答え」だけを聞きに来る生徒にはうんざりしている先生、講師は多い。そこは、互いに「respect」が大切だ。
…「2行目の助動詞のことですが、自分が調べたところ、『can』は可能以外に依頼や許可の意味もあるようです。間違いを避けるために『be able to 』を使うと××の参考書には書いてあったのですが、なぜこの文では『could』が『できる』と言う意味で使われているのですか」…
というような質問の仕方であれば、先生や講師は丁寧に答えてくれるだろう。普段、教えている生徒を先生や講師はよく見ている。ただ、時間を使わせる、困らせるような質問をぶつけても、心証を悪くするだけである、それだけは気をつけよう。
数学は、予習段階で「例題、類題」を手を動かして実際に解けばええよ。途中で手が止まれば、そこが「集中して」授業を受ける箇所だと分かる。簡単にできてしまうのであれば、授業中の演習時間に「問題集」の「宿題」になりそうな問題を解いてしまう、とか、家で解いた時より「速く」解けるか確かめるなど、時間を有効に使えばよいだけだ。授業中に復習を済ましてしまうヤツ、実際におるやろ。
理系教科の場合、さっきも言うたけど、「解説型」の授業では「答え合わせ」だけの問題と「解説」をする問題に分けられる。当然、「答え合わせ」だけの問題の予習をしていない場合、頭の中でそのときできても、途中で計算ミスをしたり、勘違いしたり、試験当日公式を忘れたりして、点数にならないこともある。
つまり、「実際に計算し、答えにたどり着いた」という事実がなければ、「予習をしていない」と思われても仕方がない。
机の間を回って確認中の先生が、「キミ、予習した?なあんだ、ノートにもテキストにも何も書いてないじゃない」と言った時に、たまに「頭の中では解けました」なんて言う「とてもえらい人」がおる。そんなの、やっていないのと同様やんけ。厳しい先生なら「そう、じゃ、白板で解いて解説してみて」と言われてまうで。
「生徒が難しいと思うような」問題や「デキが悪い」と思われる問題の場合、解答を「板書」する先生もいるし、部分ごとに分け、「電子黒板」で写しながら説明していく先生もいる。この場合は、「解答」が最初から「レジュメ」に載っている場合と、テキストの空いている部分に「解答」を書かせていくタイプに分かれる。「レジュメ」にすべてが載っていても、生徒は家で、実際にもう一度解こうとしても、なかなか解けない生徒が多い。パーツごとに「白板」に書いて説明される場合も、生徒は解答を「移す(写すではない)」のに精いっぱい、こちらも、復習なしではどうにもならならん。
「理系教科」を「時間内」に「解答用紙に書ける」ようにするには、時間をかけて何回も「復習」する必要がある。そのための「弱点ノート」こそ、「第一志望校」を射止める「本命ノート」と言えるんや。単純に問題をコピーして貼り、問題と解答が同時に見えないように「ノート」を作ればええだけや。後は、「必要のない紙」に時間内で解けるまで「答案を書く」練習すればよい。
ネット上には、中学生、高校生の「実技教科」も含めた「定期試験のまとめ」や自作の「一問一問」の「ノート」が載っている。「ノート作り」の参考にしたい人は一度見てみるとええ。
★やっぱり、「書いて、授業を、少しでも記憶に残して欲しい」という「教える側」の思い…「レジュメ」から「授業プリント」へ★
どんなに優秀な「レジュメ」を配られても、「受験」するのは生徒本人だ。
試験当日、「3日前に勉強したのに、思い出せなかった」「最後まで書く時間がなかった」は受験あるあるの上位項目だろう。そこで、「レジュメ」だけではね、と言うわけで「授業プリント」の登場となる。
「授業プリント」の代表的なタイプは、50分授業の場合、授業の流れが「A4やB4、2、3枚程度」にまとめられ、「文法」や「公式」から「古文の助動詞の説明」「整序」や「英文和訳」「英作文」などを授業の流れとともに生徒に埋めさせていくタイプのプリントだ。理社系では、「記号」で選択式のプリントなどもある。様々なタイプの組み合わせで、重要なことを生徒に書かせるように仕掛けてあるものだ。
例えば、
都内のある私立の高校の「歴史の授業プリント」では、
「(①)年、(②)が(③)となった。」とあり、解答欄に①1016年、②藤原道長、③摂政と埋めるようになっている。道長がどのようにして摂政まで登りつめたか、その後、すぐに②摂政をやめたかなどがその下に説明されている。結局、最後は「正確な年号」を覚え「人物名や出来事」を「漢字」で書けないと定期テストで点数が取れないようになっている。なぜなら、通常、どこの高校でも「記述」の問題が必ず出題されるからだ。
「現文」「古文」「漢文」などの場合、教科書の勉強を、前半、「授業プリント」で埋めた後、後半、その部分を「テスト形式」で解かせる「授業プリント」も作成できる。授業の後半で「漢字・語句」「古語・助動詞の活用・意味」「句法」「読解」などの復習ができるわけだ。
「電子黒板」を使った場合、国語の読解、英語の長文などの授業では、「授業プリントがない」と、生徒たちが「テキスト」に書き込む率がより「高く」なる傾向がある。「数学」は逆に、「テキスト」の「問題下の空きスペース」に解答を写す生徒が多くなる。答えがチラ見できるような「見える化」は、受験ではあってはならん。
自力で、自分の間違えた問題を復習するためには一工夫必要になる。
「英語」はせめて「訳せなかった英文や選択肢」を「和訳・文法の説明つき」で、「数学」は「間違えた問題」とその「解答」を、「国語」は「間違えた問題」と「解答への筋道が分かるよう本文の根拠と考え方」を「弱点ノート」にまとめ、「ノーヒント」で解けるようにしたい。「書く」練習にもなる。「予習」の段階で、半分、ノートを完成させるようにしておくのも一つのアイデアだ。
テキストをそのまま使うのであれば、必ず、授業前にコピーして、後から「ノーヒント」で「解きなおせる」ようにしておくのがお勧めだ。
◇◇◇3件目に勤めていた塾では、教室に「白板180㎝×90㎝」の白板が2枚横に並べられていた。時間があるときは、張り付けられる「白板シート」や「模造紙」「A3」の裏紙をつないだものを用意し、そこに、「問題文」や「英文」「設問」などを書き、「白板」に張り付けてよく授業を行った。
「事前の準備」は大変だが、こうすることにより、授業中に「自分が書く時間」を少なくできるとともに、「よりくわしい解説」をしたり、「生徒の表情や手の動きを見る余裕」もできる。レイアウトを自分で考えて白板に貼るので、「余白」も自由に使えるのも魅力的だ。時にはカレンダーのようにめくるタイプのものも作ったで。
講習会などで、「単科」の授業を複数持つときは、「貼る白板」の他に、授業や解説の「授業プリント」が必要になる。それでも、授業の時間が足りない。「生徒を指して確認したい」「小テストの時間が欲しい」「もっと説明したいことがある」…。僕は延長授業が大嫌いだったこともあり、さまざまな技を考え、時間短縮をせざるを得なかった。
まだ、「手書きの字」が普通の時代でもあり、授業は割と生徒には好評だった。また、解説に沿った「授業プリント」は「そのまま、この1枚で復習できる」といつの間にか評判になり、授業後、「もう一枚欲しい」と自分のクラス以外の生徒も机の前に並ぶことがあった。素直に、うれしかった記憶がある…今は昔、の物語である。◇◇◇
★「ウチ、手書きの字だと、テストのとき読めないんです」…定期テスト後、泣きそうな声で相談してきた生徒がいた!
板橋区の自分の教室で教えていた時(何度も載せていますが、2024.9 現在、は自分の病気療養と母の世話のため、教室は閉鎖中です)のことだ。その子の高校の「数学の先生」が、毎回「手書き」で「定期テスト」の作成していたのだ。PCに慣れていない「ジッちゃん先生」だからなのか、「数学の記号」を打ったりするのが面倒で手書きなのかは分からない。普段の塾の授業では、「先生の白板の文字はだいじょうぶ」と言ってくれてはいたが…理由はともあれ、とにかく、その先生が「手書き」でテストを作成する限り、彼女は実力を出しきれず、納得のいく点数がgetできなかったことは間違いない。
その学校の先生の名誉のために言わせていただくが、その高校の「数学」の先生の「文字」は「超」美しく、まるで印刷されたようであった。「文字間のバランス」「上下左右の余白」「行間の取り方」なども丁寧で、「定期テスト」が「手書き」の問題がまだ多かった「世代」の自分としては、『メッチャ見やすく、読みやすい』ものであった。
学校の先生の中には、「定期テスト作成」の際、「PC」を使うのが苦手な方もいるのではないだろうか。人によっては「PC」を使って「作業」する際、結構「重い」と感じる場合があると聞く。例えば、打つのが遅い、本文や図や表を取りこんで、大きさや位置をきめるような設定などが苦手な先生もおそらくいるはずだ。このことは、「質の良い良いテスト」づくりを妨げている恐れがあるのではないだろうか。業者が、「作成ソフト的」なものを「お試し」で使えるとしても、「使いこなす」のは時間がかかる。
ただでさえ、教えること以外の業務に振り回されることが多く、残業も多い仕事だ。おそらく、「PC」の作業の際、「理系」の先生に頼み込んでいろいろ「作業」をしてもらっている先生もいると耳にしたこともある。「手伝う」と言うと聞こえはよいが、「他教科」の先生であっても、万が一にも「テスト前に試験問題を見る」というようなことにならないよう十分注意が必要だ。特に中学校の場合、「内申」は教師たちが握っている。
「手書きの文字が読めない」と訴えた塾生は、優秀な生徒で、その後、見事に第一志望の大学に「推薦合格」を果たした。特に「定期テスト」では「数Ⅰ」や「物理」などで、「90点以上」を連発、他の生徒にはない無類の粘り強さを発揮した。彼女は、範囲の広い「入試型試験」が苦手だということで、高1の頃から「推薦合格」を狙って授業を進めた。最後は、自分で「面接用」の「質疑応答」ノートまで作り「大学入試」に臨んだ。
世の中には、「一発勝負」に強い生徒もいる。一方で、自分の弱点を知り、「なるべくリスクを避ける」形で、努力をすることで目標を達成するタイプの生徒もいるのだ。己を知り、敵を知っても、「本気」で相手と戦えるレベルまで自分を鍛えなければ「入試」は突破できない。彼女は「高校入試」で大失敗し、「大学受験」は、絶対に失敗しないという気持ちで、大手塾から「竹立塾」に高1の春、移ってきた。ちなみに、彼女の妹は、中2の時まではあまり冴えなかったが、中3の春から「目覚め」、中3の1年だけで内申を「8」爆上げし、やはり「推薦」で都立高校に合格した。生徒の「本気」が「奇跡」を呼ぶ。そのとき、教える側ができることは、「本気」になった生徒の「背中」を押すことだけだ。
◇◇◇冗談ぬきに、「スマホ」に慣れ親しんできた世代にとっては、「手書き」が読みにくい、見にくいと感じている子供たちがいるのではないか。だとすれば、この先、「板書」も含め「手書き」という問題を考えなければいけない事態が予想される。「手書きの字が読めない」ことが原因で、「点数が変わってしまう」生徒は実際に存在する。個人的には少し「さみしい」気がするが…。◇◇◇
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